「書写山の四坂巡り」 鯰尾坂〜六角坂〜西坂〜東坂 09年10月15日(木)


国土地理院地形図
 : 25000分の1 「姫路北部」
参考文献
 : 神戸新聞総合出版センター 【 ふるさと兵庫50+8山 】 P.106 「書写山」




 初めて書写山を訪れた前回、不慣れなおかげで置塩坂と刀出坂を歩くに留まってしまった。
今日は前回積み残した鯰尾坂を皮切りにして、計四つの坂を一気に踏破することにします。
 今回も「播州野歩記」ののあるきさんレポを大いに参考にさせていただきました。

 今回は久しぶりに車利用の山行となりました。
家から書写山までちょうど1時間で到着しました。



6:40 書写山ロープウェイ山麓駅前駐車場に到着。
6:50 駐車場出発

 朝はけっこう冷えるようになってきましたが、まだ重ね着をするほどではありません。
書写バス停のある道は路肩が狭いので要注意です。








 行程概要 (山中のルートは不正確です)


 書写山ロープウェイ山麓駅付近に駐車し、まず書写バス停へ。
41系統荒木行き神姫バスに乗車し約15分。書写山から見て北西の新在家バス停で下車。
まず鯰尾坂で登り、途中三角点などに立ち寄りながら円教寺へ。
摩尼殿下から始まる六角坂で下山し、書写山南山麓にある書写坂本城跡へ寄り道。
なかなかの急坂であった西坂を経由して再び円教寺へ。
最後に展望抜群の東坂を下って書写山ロープウェイ山麓駅へ戻るというプランです。
6:58 書写バス停到着

 バス到着予定時刻より10分くらい前からバス停で待機します。
その間に準備運動をしておきます。




7:10 書写バス停出発 神姫バス41系統・荒木行きに乗車。

 定刻(7:10)より2、3分遅れてやってきました。混みあう姫路方面へ向かう便とは
逆に、乗客は自分を含めて5人。
書写山南山麓からぐるっと西山麓へ回り、目指す新在家バス停へ向かいます。








7:23 新在家バス停到着

 ゆっくりバス旅を楽しむ間もなく、新在家バス停に到着。経験談から想像するに、仮に歩くと1時間30分くらいかかると思われます。

 道を渡って斜めに北東へ伸びる脇道へ入ります。
「史跡・鯰尾大谷構居跡」の標柱を見て右折。そのまま道なりに東の山すそへ歩いていくと、目指す鯰尾坂登山口に到着です。








7:35 鯰尾坂登山口

 道なりに緩やかな登り道を歩いてきたら、タロリン村というアウトドア施設で行き止まりになっています。
鯰尾坂の入口は確かにこの辺りで合っていた筈と周囲を見回してみると、南側の山裾に小さな祠を見つけてほっとしました。

 祠には「利用せし人数しれず 裏参道」と書かれています。
今日では一般の参詣客にとって書写山ロープウェイが参道になっていますが、やはり参道を登って参詣すると気分も盛り上がるというもの。
とはいっても、ロープウェイも一度は体験しておきたいと思います。

 祠の脇から参道が始まっていますが、いきなり道が二手に分かれています。
こういう場合やはり尾根に登りそうなほうだろうということで右手に進みます。
書写山の他の参道には案内板が完備されているようですが、この登山口には鯰尾坂を示す公式の案内板はありません。








シダ藪に覆われた尾根

 鯰尾坂は地形図で「新在家」の地名が記載されている辺りから、書写山三角点ピークに至るまでの尾根を緩やかに登っていきます。
延々とジグザグ道が続き、全くきついところはありません。歩き始めは本当に歩きやすかったのですが、すぐにシダが目立ってきます。








 段々とシダが深くなってきました。前夜に雨が降ったおかげで足元はもうびしょ濡れです。
スパッツがあれば快適だったと気付きましたが、今日は用意していません・・。
それとクモの巣が思ったよりも少なかった印象を受けました。鯰尾坂の利用度はけっこう高いのでしょうか。

 木々の向こうに一段と高くなったところが見えてきました。
あの辺りが252mピークかなと目星を付けて登っていきます。しかし感触では鯰尾坂は同ピークの北山腹をトラバースした模様です。








シダの海を潜る

 シダ藪は段々と深さを増し、部分的にはもう背丈を上回ってトラックに覆いかぶさっています。
写っている状況はまだマシなところです。(=三脚が設置可能)
躊躇しましたが引き返すわけにもいかず、思い切って突っ込んでいきました。
いつの間にかもう全身濡れてしまいました。鯰尾坂は雨上がりには手ごわい参道だと気付きました。








8:13 鯰尾坂を見守るお地蔵さん

 シダ藪との格闘が一段落する頃、路肩にお地蔵さんが鎮座していました。
今ではシダに覆われている鯰尾坂も参道の一つとして活用されていた頃は、もう少し歩きやすかったのではと想像します。








 お地蔵さんを過ぎても、シダ藪は途切れることはなく続きました。
そうこうしているうちに東側に別の尾根が近づいてきているのが見えました。
もうすぐ2つの尾根が合流する310m+ピーク(南北に細長い無名ピーク)に到達しそうです。
シダが途切れて新たな局面を迎えることを期待して登っていきました。








8:40 310m+ピーク

 地形図通りに細長く平らなピークである310m+ピークに到達。
鯰尾坂は平坦なピーク上を南に進んでいきます。
この辺りで薄っすらな踏み跡が左手から合流してきました。六参道以外にもやはり枝道がありそうです。
また機会があれば踏査してみたいと思います。

 310m+ピークから見て、300m+コルを挟んで三角点ピークが近いところにあります。
しかし鯰尾坂は南に緩やかに下っていきます。そうそう、この道は参道だから円教寺を目指しているのです。








8:49 300m+コル付近にあるお地蔵さん

 しばらく緩やかに下っていると、ここにもお地蔵さんがありました。
まだ日の当たっていない湿っぽいコルでも、お地蔵さんがあるだけで雰囲気が違ってきます。








9:00 お地蔵さんが彫られている巨石

 鯰尾坂は三角点ピークの西山腹から南山腹を回りこんで円教寺を目指していきます。
南斜面に回った頃に、お地蔵さんが彫られている巨石がありました。
書写山は山全体が聖域になっていることが改めて窺えます。








9:06 三叉路

 しばらくほぼ平坦な山腹道を歩いていると、突き当たりで二手に分かれました。
南側は円教寺へ向かうであろう軽トラックが通れるくらい幅広の道。
今回はとりあえず三角点ピークを踏んでおきたいので、一旦北へ寄り道をします。

 なお、この三叉路にも道標は皆無でした。
北へ緩やかに登る道も至極明瞭で、よく歩かれているようです。








9:12 祠が点在する三角点ピーク南端付近

 北に最上部が見えてくる頃、祠が点在する一角に差し掛かりました。
参詣客が絶えることのない円教寺とはまた違う世界のようです。

 付近の地表には割れた瓦が散在しており、かつてはもっと立派なお堂が建っていたか、
もしくは多くの建物があったのではと推察できます。

 なお、三角点のあるピークはかなり広大。
この祠が点在する一角のすぐ上辺りが350m+で最も高いのですが、三角点はそこには無く、
少し北へ進んだ広いピーク北端の少し低いところにあるようです。
トラックはピーク東端の縁を進んでいくので、三角点はトラック沿いか或いは少し西に外れたところにあるのではと、
左手に注意しながら歩いていきました。








9:20 三角点「書写山」 (349.9mピーク)

 想像通りにトラックから少し西側に、細い踏み跡を分け入ったところにありました。
このピークをどう呼ぼうかなと思いましたが、ここが最高峰ではないので便宜上、レポ中では三角点「書写山」と表記することにします。

 350m+ピークの中で、三角点の位置が少し低いと前述しましたが、実際には三角点の標高は349.89mでほぼ同じ。
但し、地形図(1/25000)では等高線が5m単位で表記されるので、地図を見るともう少し標高差がある印象を受けます。
時としてこういうことは起こりえるものですね。

 先日訪れた書写山最高峰は371mでここよりも21mほどだけ高いですが、すぐ横を林道でえぐられています。
残念な現状の最高峰に比べると、手付かずで山深い雰囲気に包まれているこちらのほうが断然いいです。但し展望が無いのは同じですが。

 三角点の横でザックを下ろして小休止をとりました。
まとわりついてくる虫も意外に少なく、落ち着いて滞在出来ました。でもオカリナを忘れたのが残念でした。




9:36 三角点ピーク出発

 ピークに分け入る直前、「行者堂」を示す案内板が道端にあるのに気付いていました。
まだ少し奥へ進むようですが、せっかくなのでそちらへも寄ってみることにしました。








行者堂へ

 奥へ進むだけではなく、三角点「書写山」ピークより少し下らなくては辿り着けないようです。
これまで同様、歩きやすいトラックであることは間違いないのですが、地表が苔に覆われているところが滑りやすくなっており要注意です。

 どのくらい下るのかなと、少し不安になってきた頃に辿り着きました。








9:47 行者堂

 下りついた先はまさに静寂そのもの。谷あいの僅かな平坦な地形を上手く生かしていました。
地表には広く苔に覆われていて、周囲には清浄な空気が流れているようです。
お堂はそれほど大きなものではありませんが、今でも大事に守られている様子が窺えます。
書写山の中にあって忘れ去られた感のある、とても良いところだと思いました。
立ち寄ってみて良かったです。

 行者堂の前からスイッチバックのように折り返して、なおもトラックは下っていくようでした。
一応公式には六参道ということになっているようですが、この参道も古くから使われているものなのでしょうか。
出来ればどこに下りつくのか試してみたい気もしますが、今日はプランを達成するほうを優先したいと思います。




9:52 行者堂出発

 約5分の滞在で出発しました。下ってきた道を戻って再び三角点「書写山」ピークを経由して三叉路へ戻ります。




10:07 三叉路へ戻ってくる

 充実した寄り道でした。再び鯰尾坂に回帰して、今度こそ円教寺を目指すことにします。
もうここからだとそれほど登らずに境内に入れそうです。








10:12 石垣が現れる

 しばらく進むと石垣が見えてきました。
この上に何らかの建築物があったのは間違いないので、やはりかつての円教寺はもっと規模が大きかったのでしょう。
最近知りましたが、円教寺の最盛期は中世までであり、秀吉による播磨侵攻の際に寺領が狭められてしまいました。

 ところで石垣の角から右手にも進めるように思えました。
少し迷いましたが、今回は道なりに直進することにしました。

 もう少しで、のあるきさんにご教示いただいた奥之院の横に出てくるかなと思いながら進むと・・








10:16 境内へ

 登りついた先は奥之院の横ではありませんでした。境内の配置から考えると、
おそらく先ほどの石垣の角から右へ進むと奥之院へ抜けたものと考えられます。

 先日、初めて書写山へ登ってきた際、鯰尾坂の入口を探して歩き回りました。
実はここにも目が留まったのですが、周囲には道標も一切無いので、どこへ下るのか確証が持てず引き返したのです。
でもこの瞬間、コナンのように頭の後ろで線がつながった思いでした。そうか、そうだったのか。
明快に謎が解けた思いと共に、まずは鯰尾坂踏破完了です。



 ここは三つの院から少し北に登ったところです。道なりに下っていくとすぐに今日初めて賑やかなところに出てきました。








10:24 三つの院

 初めて来た日の土曜日と比べると、平日の今日はやはり人出は少なめです。
暑さも大分マシになって、ゆっくりと境内を巡ることが出来る季節になって来ました。
ゆったりと境内を散策したい気もありますが、それはもっと軽装で訪れた時にとっておきたいと思います。

 今日はこの後、鯰尾坂に続いて六角坂を下る予定です。
六角坂は摩尼殿付近から下っています。その後は西坂、東坂と歩くので、今日のところはもう三つの院に戻ってくることはありません。



 六角坂入口のある摩尼殿方面へ向かいます。三つの院からだと下りになります。








10:36 摩尼殿

 約5分で摩尼殿の下に辿り着きました。前回は最高峰に寄っていたので距離感が分かりませんでしたが、
摩尼殿と三つの院は意外に近かったです。周囲にはちらほらと観光客の方も見かけられるようになってきました。

 六角坂へは、摩尼殿に背を向けて「はづき茶屋」横を通るとすぐです。








10:40 六角坂へ

 この道はロープウェイ駅方面へは向かわない旨が書かれています。
鯰尾坂が最も分かりづらかったですが、他の参道はけっこう分かりやすいと思います。

 六角坂は谷沿いを下る参道とのことですが、歩き始めは意外に広い林道のような道でした。

 なお、六角坂も他の参道同様、関連する地名から名づけられています。
ただ中世史好きな自分としては、南近江の戦国大名六角家を連想してしまいます。








 しばらく奥へ進むとすぐに純然とした山道になりました。
既に右手からは水の音が聞こえています。右手の森は意外に視界が利きますが、この周囲が六角坂の沢の源流部に当たるようです。

 この後、少しだけ急なところがありましたが、それを過ぎるとすぐに沢床へと降りていきました。








 沢の水量は少なめですが、充分清涼感を得ることが出来ました。
沢沿いを下るということで少し身構えましたが、殆ど難所というところはありませんでした。
逆に夏でもけっこう涼しく登れる快適なトラックではないでしょうか。








 ただの沢沿いのトラックではないということが、時折現れる五輪塔などで伝わってきます。
これは元々ここにあったものではないようですが・・。大雨が降ると流されてしまうのではと心配になりました。
谷付近の地形は一番変わりやすいでしょうから、かつては本当に立派な参道があったのでしょうか。









11:04 

 しばらく下っていると、やや渓相が広がってきました。もう下流に下りついたのかと一瞬思いましたが、
160m+辺りでやや等高線が広がっている箇所がありました。
南から支谷が合流してくるようです。細い踏み跡も見受けられたので一瞬戸惑いました。
支谷の終点が西坂に突き当たるようなので、ルートの一つかもしれません。








六角坂の滑状の沢床

 再び等高線が狭まって、沢の両側から山肌が迫ってくる頃に、
美しい沢の様子に目が留まりました。慎重に沢床へと降りてみますが、
濡れていたら滑りやすくなって危ないでしょう。
でも一帯は苔で覆われていてとても良い雰囲気です。








 下流に近づくにつれて、六角坂は次第に沢からかなり上方を通るようになってきました。
しかしそれもまもなく渓相が広がってきて終点が近いことを感じさせてくれます。
そして左岸へ渡ると、もう周囲は平地になりました。








11:25 初めて白鳥城を見る

 平地を登山口へ向けて歩いていると、遥か西方に西洋の城が見えているのに気付きました。
あれがのあるきさんがご紹介されていた白鳥城だとすぐに気付きました。遠方からですが確かに立派な造りです。

 でも本家のドイツにあるのが「新白鳥城」を意味するノイシュヴァンシュタイン城というのを考えると、
新旧が逆になっているのがちょっと面白いです。
出来れば一度、ドイツに行ってみたいと思うのですが、いつになることやら。
自分は本当に行きたいところだらけなのですが、今のところ渡航暦はNZのみです。








六角坂石造卒塔婆

 既に舗装路となった六角坂を下っていますが、最後まで歴史ある古道の光景を楽しませてくれます。

 六角坂石造笠塔婆   姫路市指定文化財

 全長約2m、市内の同時代の笠塔婆の遺品としては、最大のものである。
  宝珠は後補のものであるが、塔身の形状や笠の曲線など室町時代前期の特徴をよくあらわしている。
正面には、阿弥陀の種子(キリーク)を刻んでいる。

 姫路市教育委員会
※ 案内文は原文のまま記しています。








11:31 六角坂登山口

 卒塔婆を過ぎるとすぐに登山口に到着。この直後に車が行き交う広い道に出てきます。
先日、刀出からロープウェイ山麓駅まで歩いた時にも通った道です。
この写真の場所は車道から少し奥まったところにありますが、道標が道路脇にあるので発見は容易です。

 本日2つめの参道、六角坂もなかなか良い道でした。
3本目は西坂を登り返しますが、その前にちょっと寄り道をします。








12:00 書写坂本城跡

 書写山の南山麓に位置する平地ですが、かつては播磨の守護所である坂本城があったところです。
同名の城で明智光秀所縁の近江の坂本城と区別するためか、書写坂本城とも呼び習わされています。

 書写山に訪れてから、そういえば書写坂本城の遺構は残っているのだろうかと気になり調べてみました。
平城ということもあって、今ではすっかり宅地に埋もれてしまっていますが、土塁の一部がかろうじて残されています。

 この城が機能していたのは戦国時代が始まった15世紀末頃までです。
応仁の乱の後に後期赤松家を再興した赤松政則が、近くの置塩城に本拠を移して廃城となるまでとなっています。
 嘉吉の乱の際には赤松満祐がここに在城し指揮を執っていましたが、播磨各地に展開させた赤松勢が幕府軍にことごとく敗退し、
敗色が濃くなったことにより龍野の城山城(新龍アルプスで登城可)に退いています。
前期赤松家が滅亡した後、赤松討伐で第一の功があった山名持豊(後の宗全)が播磨守護となりますが、
書写坂本城を引き続いて守護所として活用し、領国となった播磨を支配しています。








僅かに残された書写坂本城の土塁の一部

 住宅街の一角に土塁と堀の断片がかろうじて残されています。中世史好きとしては残念な現状ではありますが、
この城が刻んできた波乱に富んだ歴史と、そして乱世において「廃城」という結末を迎えたこと、そして何より
開発が容易な平地に位置していることを考えるとやむを得ないかなとも思います。
ここは城があった頃の光景を思い浮かべることが必要です。

 ところで書写坂本城を探訪中、横をしばしば中学生達がちらちら見ながら通過していきます。
世の中には色んなことに興味を持つ人が居るものなんですが。ただ山行の格好だから不審に思ったのかもしれません。
でもこの城は書写山の山歩きのついでに立ち寄るには便利な位置にあることは間違いないです。




12:10 書写坂本城跡出発

 ずっと前から名前だけ知っていた城を初めて訪れることが出来、達成感に包まれて出発します。
山行ついでにけっこう多くの史跡を訪ねることが出来ています。これぞまさしく一石二鳥といえるでしょう。




 次は西坂に登りますが、まさに書写坂本城からは道なりに真っ直ぐ北に進むだけとなります。








12:19 西坂登山口

 バス道から北は緩やかな登り坂が続いて、この西坂登山口に辿り着きました。
登山口に辿り着くと同時に道は途端に傾斜がきつくなります。

 西坂は山行を楽しむ山道ではなく車道です。(円教寺関係車両以外の車は通行禁止。入口にゲートがあります)
ほぼ書写山に直登するといっても良く、距離は短いですが急斜面が続きます。

 ということで、ここは自然にタイムトライアルをしてみようという気になりました。
間に全く休憩せずに黙々と登り続けています。








12:44 西坂を登り終える

 結果は25分でした。結論からいうとハードなトラックでした。
それと意外に関係車両がけっこう頻繁に通りますので気をつけましょう。
更に傾斜がきついので、下りで歩くと膝の負担が大きそうです。

 登り終えたところに広場があったので、そこで息を整えました。
きつかったけど25分で再び山上に戻れたので、何だかワープでもした気分でした。




 広場からは傾斜が緩くなります。道なりに歩いていくと、見知ったところに出てきました。








12:54 十妙院前を通過

 初めて書写山へ来た時に境内に入ったところから程近いところに出てきました。
2回訪れ、しかも5つの参道を歩くことによって、段々と円教寺境内の配置が掴めてきました。
残る未踏の参道は東坂のみとなりました。山行のフィニッシュを飾るべく、仁王門方面へ向かいます。








12:59 仁王門

 円教寺境内の広大さからは意外なほどこじんまりとした感のある仁王門でした。
自分にとって馴染みのある仁王門といえば、甲山の神呪寺のそれを思い出しますが、あちらのほうが大きいのです。

 本来ならば、この仁王門をくぐって境内に入るべきだったのでしょうけど、偶然にも一番最後になってしまいました。
逆向きだともう延々と下りです。西坂での疲労もどこへやら、足取り軽く東坂を下っていきます。

 東坂はロープウェイが利用出来ることから、最も賑やかな参道であり、多くの人が行き交っています。
ということで、他の参道とは雰囲気が一線を画しています。
自分と同じ山行中の方も見かけますが、圧倒的に一般の観光客、参詣客の方が多いです。








東坂上部の展望地

 仁王門からしばらく下っていくと、左手の視界が開けていました。姫路平野が箱庭のように見渡せます。
書写山は山上において展望が開けているところは限られているため、自分にとってその意味では貴重な場所かも。
但しここの木々の途切れ方と、植樹も行われていることから期間限定の眺めなのかもしれません。

 眺めている間にもロープウェイ山上駅と仁王門の間を人々が行き交っています。
ロープウェイ駅山上駅へは、すぐ近く南側に見える尾根にぐるっと回りこんで降りていくようです。



 ロープウェイ山上駅の手前でマイクロバスの乗り場を通過しました。
ロープウェイとバスを利用することで、全く歩かなくても円教寺境内へ辿り着けるようです。








13:14 書写山ロープウェイ山上駅前

 ロープウェイ山上駅に到着しました。続けて東坂を下る場合はここから降りていくようです。
ロープウェイ山上駅は255mピーク付近にあり、ピークからは南から東へ大きく3本の尾根が派生しています。
これから下る東坂はその中で一番西側にある尾根になるようです。

 撮影時ちょうどロープウェイ出発時刻間際で、改札の方が乗り込んでこられる方がいないかと、こちらを注視されていました。
まあのんびり自分撮りしている自分は客には見えなかったでしょうけど。
今日はけっこう多くの方に撮影風景をお披露目?したような気がします。

 ロープウェイ山上駅を過ぎると、再び山本来の静けさに包まれました。







展望抜群の東坂

 ロープウェイ山上駅を過ぎてまもなく、前方の視界が開けてきました。
書写山の六参道の中で唯一、展望抜群の東坂を最後に残した狙い通りにけっこう感動しました。
木陰のところを選んで、この眺めを楽しみながら昼食を摂ることにします。




13:24 昼食休憩

13:34 出発








東坂を下る

 姫路平野に飛び込んでいくようなシチュエーションです。
眼下には東洋大姫路高校、少し西には先ほど立ち寄った書写坂本城跡近辺も。
これまでずっと展望無しのトラックばかりだったので、感動も更に増幅されたようです。

 但し、どこを見てもどう撮っても、電線が入ってしまうのが残念です。
でも山上へのライフラインでしょうから致し方ないのでしょうか。




 展望を堪能しつつ、しばらくゆっくりと岩尾根を下っていくと、
東坂は森に突入していきました。これで展望は終わりかなと少し下っていくと、再び眼前に展望が。
東坂はけっこう珍しいパターンかもしれません。








山麓まで続く展望

 眼下にはかなり住宅街が近づいてきましたが、見通しの良さはずっと続きました。
岩尾根は一部だけかなと思っていましたが、これまた山麓付近まで続きました。
 距離的にはそれほど長くないのですが、疲れてきた足には岩尾根下りはけっこう堪えました。



 かなり下った頃、参道は二手に分かれました。
予習の記憶を辿ると確か西側に下る筈と思い、そちらを選びます。








13:55 如意輪寺上の出合

 再び出合が現れましたが、今度は片側に如意輪寺と書かれているのでそちらを選びます。
獣避けのネットを上げて先へ進みます。

 すぐに階段道と分岐しますが、山道を道なりに進みます。








14:00 如意輪寺入口 (東坂登山口)

 墓地の端を通って敷地の外へ出ました。
どうやら階段道を通ると、お寺のほうへ出るようです。

 かつての円教寺は女人禁制で、ここ如意輪寺は女人堂でした。
最後まで書写山円教寺の歴史を感じさせる山行となりました。

 女人禁制だったところといえば高野山が有名ですが、
身近な書写山もそうだったとは最近まで知らなかったです。



 如意輪寺からは住宅街を通って、駐車地のロープウェイ山麓駅まで戻ります。




14:15 書写山ロープウェイ山麓駅前駐車場到着




 2度目の山行で書写山六参道を踏破出来ました。六参道それぞれに味わいのある参道だったと思います。
山上の円教寺も素晴らしいところです。書写山は自分にとって間違いなくお気に入りの山の一つになりました。
また歩く向きと季節を変えて再訪したいと思います。








行程断面図です


※ 上記に先立ち、ロープウェイ山麓駅前駐車場から書写バス停までの約700mも歩いています。

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