「散りゆく桜 龍野公園〜祇園嶽」 08年4月12日(土)

国土地理院地形図:「龍野」25000分の1を参照して下さい。

 
のめり込んでいた08スキーシーズンも終わり、気持ちを切り替えて山歩きを再開しました。改めてよろしくお願いいたします。


 3月からの高温傾向のおかげで思惑は外れ、桜の開花は少し早くなってしまった。
最盛期は過ぎてしまったが今春もやはりお気に入りの龍野公園で花見をして、久しぶりの山歩きを堪能することにした。

 一口に龍野公園といってもけっこう広い。昨年は龍野城をメインに時間を過ごしたが、今回は聚遠亭の庭園美をじっくり味わってみたいと考えた。
前回は遅い時間に訪れたために、すごい人出でパスした経験があるからだ。
最盛期は過ぎたとはいえ、今日は土曜だから出来るだけ早い時間に訪れたいと思い、今回は車での来訪となった。
姫新線を利用するのが理想なのだが、始発で訪れても聚遠亭に到着するのは朝7時過ぎになる。
それと今日の山行を前に充分滞在時間を確保したかったこともある。




6:00 龍野公園駐車場到着。

 家から約1時間で到着。早朝ということもあって駐車場周辺に全く人気が無い。でも日の出時刻は5時30分くらいということでもう充分明るい。
身支度を整えるとまずは「文学の小径」を歩いて最初の目的地である聚遠亭へ向かう。




 聚遠亭(しゅうえんてい)
 その昔、松平定信が来遊したとき、ここからの眺望絶景をたたえて「聚遠の門」とよんでからいつの頃か聚遠亭と名づけられた。その名のとおり遠く淡路島、瀬戸の島々を見ることができる。心字池上にある浮堂の茶室は安政年間城主脇坂安宅が京都所司代の職にあって御所が炎上したとき、その復興に功績があり、孝明天皇から拝領したといい伝えられている。庭園、池などと調和した書院造りを模した数奇屋風の建築です。
 隣りは裏千家鵬雲斎千宗室家元に「楽庵」と命名された茶室です。
 土日曜日には、どなたでも利用できる茶席がもうけられます。

龍野観光協会
聚遠亭

 思惑通りに朝のうちは人出はまばら。初めて訪れた前回は通り過ぎただけだったが、今日は庭園の隅々までじっくり観賞する。
そのうちに鶏籠山越しに朝日が昇ってきてどんどん明るくなってきた。






     
しだれ桜

 ソメイヨシノは既に散りかけているが、しだれ桜は今が見頃だった。この時期、見頃のソメイヨシノに出会うのは自分にとって至難の業。
休みであること、スキーシーズンが終わっていること、そして天気が良いこと。3つの条件が揃わないといけない。
但し満開の桜は見たいけど、スキーシーズンが早く終わるのは困る。自分にとって春は天候によって大いに左右される悩ましい季節だ。

 聚遠亭で過ごしていると、ちらほらと自分と同じように撮影目的の方が訪れていた。
予報が外れていい天気になってよかったですね。と挨拶を交わす。








  
 しだれ桜は満開だが、ソメイヨシノは風が吹くたびに桜吹雪が舞っていた。




8:50 聚遠亭出発

 いつの間にか3時間近くも聚遠亭で過ごしていた。もう充分聚遠亭を堪能したし、そろそろ重い腰を上げて出発することにしよう。

 やっと今日の本題の山行だが、初めて「盃流しコース」を歩いてみることにした。もちろん定番は新龍アルプスを尾根伝いに歩くプランだが、
昨年の同時期に好天の元で歩いているので、今回は未踏のトラックを選んでみた。

 盃流しコースの始点は中垣内キャンプ場というところで、龍野公園からは約5km。徒歩約1時間少しかかりそうだ。
ネットで調べてみたが、この交通不便の地理的条件のせいか情報はさほど多くなかった。
なお、今回の山行のプランニングは旧新宮町教育委員会作成の「越部古道散策マップ」を大いに参考にしている。








 文学の小径・哲学の小径
 赤とんぼの歌碑から聚遠亭に通じる桜道を
「文学の小径」といいます。
 白鷺山、南斜面に三木清の哲学碑があり、
この前の道を「哲学の小径」といいます。
 両小径一帯には多くの碑があり、移りゆく世の変転が
見られるかもしれません。また、このあたりは桜の名所で
一目3000本の桜は実に壮観です。

龍野観光協会
文学の小径

 路面が桜色に染まりつつある文学の小径を南へ向けて歩く。盃流しコースの始まる中垣内キャンプ場へは、的場山を南からぐるっと回りこむようにしてアクセスする。
まだまだ先は長いが、散り始めの桜を楽しみつつのんびり歩いていく。でもやはり桜の木は葉が目立つようになってきている。








赤とんぼ歌碑

 何故か寄ってしまう赤とんぼ歌碑。懐かしい「♪赤とんぼ」のメロディーが流れ出す。
でも見回したらすぐ側に民家があるので、迷惑になっていないかちょっと心配になった。








 「♪赤とんぼ」を聴いた後で龍野公園を抜けて一路中垣内キャンプ場へ向かう。
哲学の小径入り口前まで来て、暑くなってきて上着を一枚減らした。
龍野公園へ向かう道は花見客の車であろうか、けっこう交通量が多いので要注意。


















西側から見る新龍アルプス

 約1時間にもわたる舗装路歩きだが、幸いな事に中垣内へは殆どこのようなのどかな沿道で、なおかつ急坂も無いのでさほど苦にならなかった。
キャンプ場へはどんどん北へ向かっていくだけなので道に迷うこともない。北へ向かうにつれて道が集約されていくことになるからだ。
しかも何度か歩いた新龍アルプスを裏から見ることも出来てちょっと得をした気分。

 しかもこの辺りの桜は今が見頃だ。賑やかな龍野公園と違ってたいへん静かな花見を楽しめる。








 行く手に亀山が近づいてくるとまもなく中垣内キャンプ場も目の前。
春の穏やかな陽気の元で快適なウォーミングアップが出来た。

 なお右手には既に中垣内川が平行して流れている。この川に沿ってこれから遡行していく。








10:19 中垣内キャンプ場

 今日一番きれいな桜に出迎えられて中垣内キャンプ場へ到着。獣避けとなっているゲートを開けて中へ入る。
もちろん入った後は、一旦は解いた鎖を留め直しておく。

 中には飯盒炊爨の施設などが点在している。土曜なので誰か居られるのではと思ったが誰もいなかった。








「井関神社奥宮」と書かれている鳥居

 キャンプ場の中に立派な鳥居が建っていて井関神社奥宮と書かれている。
この神社は中垣内川の源流部付近にあるようだ。盃流しコースは参詣道にもなっていたのか。

 ここからようやく山道になる。やっぱり舗装路歩きが長かった。








非常に緩やかな盃流しコース

 地形図からするとそれほど急なところは無いようだと思っていたが、序盤は本当に緩やかで中垣内までのアプローチ道の延長のような感じだ。
写真では写っていないが、右下には中垣内川が絶えず並走して流れている。

 しばらく進むと左岸へ渡渉。これ以降も何度となく渡渉を繰り返す。六甲のトゥエンティー・クロスよりはずっと渡渉回数が多い。
なお、渡渉箇所は全て橋が架けられていて、飛び石によって渡る箇所は無い。








 自分の谷のイメージは両側に山肌が迫る、というものだったが、この盃流しコースの谷は殆どずっとこのような開放的な雰囲気が続く。
新緑と山桜とツツジを眺めながらの遡行、というかウォーキングとなる。








     
10:54 盃流しに到達か

 しばらく歩いていくと並走する中垣内川の川床が滑状になっていることに気付く。
前述の「越部古道散策マップ」と地形図を見比べて、だいたい中流域にあることを確認していた。
それと同マップには盃流しの写真1枚が掲載されているが、小さなものでしかも不鮮明なので、写真から場所を特定することは難しかった。
ということで盃流しっぽいところを片っ端から撮影していくことにした。

 最初に目に飛び込んできた滑床もなかなかのものだったが、この後もっと見事な滑床に遭遇することになる。
それと見た目である程度想像がつくが非常に滑りやすい!
夏ならば天然のウォータースライダーになるが、まだこの時期に水浴びをしたくないので滑床を楽しむには細心の足運びが必要だ。








     
 最初の滑床からさほど遠くないところにはもっと大規模で見事な滑床が広がっていた。
始まりは小さいながらも見事な滝。雰囲気は石楠花谷を思い出すが、水のきれいさは断然こちらのほうが上。
夏ならば泳いでみたくなるが、山から流れてくる水は夏でも縮み上がるくらい冷たいことは経験上知っている。








盃流しで一休み

 盃流しという優雅な名が付いたことを充分に納得できる見どころだった。
同じような大きな滑床といえば明神山の長滑らを思い出すが、景勝地としては盃流しのほうが遥かに勝っている。
とにかく水がきれいなことと、明るい印象の美しい滑床が見事だ。龍野公園から5km舗装路を歩いた甲斐はあったと思う。




11:35 盃流し出発

 充分に盃流しを堪能して出発。あとは盃流しコースを踏破するだけだ。
このコースは盃流し以外には特筆すべき見どころが無いのは少々残念だ。








 ずっと緩やかな盃流しコースの中では最もまともに「登った」と感じたのがこの写真の区間。
これ以外は本当に全てが緩い。西お多福山が緩やかだと思っていたが、盃流しコースは更に膝に優しいトラックだった。
人によっては山に登っている気がしないかもしれない。








時折目に付く見事な山桜

 とにかく単調になりがちなトラックだが、今の時期は飽きることなく歩けるかもしれない。

 近くに新龍アルプスという人気トラックがあるだけに、盃流しコースはややマイナーな印象を受けるが、
渡渉箇所に架かっている橋はいずれもしっかりと整備されている。この写真の木橋はごく最近木材が更新されたようで、
真新しい木が良い香りを放っていた。








盃流しコース最大の滝

落差は10m程度あるだろうか、盃流しコースの中では最も大きな滝ではないかと思う。
滝の正面から撮影したかったが、周辺は沢に降りられそうなところがなくてこのような構図になってしまった。
最近の雨の多さのせいで轟々と水が流れている。



少し歩いたところで道標の無い分岐に差し掛かる。直進するのがメインルートのようだが、右手には細くなった沢を渡って
東の斜面へ伸びるトラックが誘っている。これはおそらく城山城方面へ向かうのではと判断し、当初の計画通り
盃流しコースの踏破を目指して直進することにする。








12:09 新池・奥宮神社出合

 上記の道標の無い出合から少し登ったところには、今日初めての公設案内板のある出合にやってきた。
それによると井関三神社まであと300mほど。緩やかでいつ登りきることが出来るのかと思わせた盃流しコースもやっと終盤のようだ。
この出合からはこれまでずっと雑木林だった森が薄暗い杉林に代わる。








12:16 盃流しコース・搦手谷コース出合

 程なく前方が明るくなってきて、もしかしたら神社に着いたのかと思ったらまた出合。
ここは四差路になっていて、亀山西方の交通の要衝になっている。
目にするトラックいずれもが未踏で、どれも先へ進みたくなってくるが、今日は奥宮神社経由で祇園嶽まで行くという行程を遂行する。

 一応盃流しコースはここまでということになる。殆ど緩いところばかりで難所も無い。もしMTBなら中垣内まで殆ど乗ったまま下れそうな感触。
やまあそさんなら乗り乗りで楽しむことの出来るご機嫌なトラックになるのではないでしょうか。






12:23 井関三神社奥宮出合

 また程なくして右手南から尾根道が合流してくる。道標には井関三神社奥宮 50mと書かれている。
トラック沿いにあるのかと思ったけど意表を突かれた感じ。主要路を外れて明るい尾根道に入っていく。

 なおここに設置されている道標は西側には何も記載されておらず、西から歩いてきたら振り返らないと読めない。








12:26 井関三神社奥宮

 分岐からすぐに巨大な岩が見えてくる。井関三神社奥宮のご神体となっている陽石だという。
マップに載せられていた写真より実際は小さな印象だが、それでも3mくらいはあるだろうか。

 反対側には祠が設置されている。そして少し下方には鳥居もあって、事前に情報が無くてもここが信仰の対象になっていることが分かる。
祠にはトタン屋根があるので急な雨の際は雨宿りさせて頂くこともできそう。

 盃流しで相当時間を潰したが、麓のキャンプ場から普通に歩けばここまで1時間ほどくらいだろうか。
盃流しコースは渓流美のついでにお参りも出来てしまう一石二鳥のトラックだった。




 盃流しコースの全ての目的を成し遂げ、次はもう一つの目的地である祇園嶽へ向かう。
祇園嶽は始めて龍野を訪れた06年11月30日以来2度目。前回と違って晴天の元で眺めを楽しめるといいけど。

 来た道を分岐のところまで戻って東へ向かう。まずはルート上最寄の亀ノ池を目指す。緩やかながら亀ノ池まで50mほどの登りとなるようだ。








12:35 水争い遺称地

 亀ノ池へ向かっていると水争い遺称地へ差し掛かった。詳細な解説板と案内板から概要を知ることが出来る。

 水争い遺称地 (みずあらそいいしょうち)

 「播磨風土記」には、石龍比古命(いわたつひこのみこと)と石龍比賣命(いわたつひめのみこと)の兄妹の神の水争いが記されています。
この話は、中垣内川上流の村と越部村の人々の間で起こった水争いの様子をたとえたものです。亀の池から流れ出た水は2つの谷へと分かれますが、
その勾配の違いから越部の村へ多く流れるため、中垣内川上流の村人がそれを堰止めました。このことが水争いの発端となりました。この石積みが、
水の流れを人為的に変えた当時の遺称地です。



近畿自然歩道 環境庁・兵庫県

 写真で写っているトラックが土手そのものになっており、その両側は石積みで補強されている。土手の南側(右手)には亀ノ池から発する水が流れていて、
土手によって中垣内のある南へと下っている。この流れがそのうちに盃流しを通って、中垣内へと続くことを改めて認識した。
一方土手の北側(左手)は急斜面になっており、もしこの土手が無ければ自然に北の越部方面へ流れるだろう。

 争いと表現されているが、これを見ると結局流れを変えた側の希望が叶った形で治まったということになる。
いずれにしても興味深い史跡であるといえる。



 昔の人の事跡を伝えてくれるから、遺跡は好きなのであるが今はどうだろう。
せっかく道路特定財源の暫定税率という異常な税制が期限切れになったというのに、
こともあろうに自民党は再可決しようと目論んでいるという。
これで自民党にとって道路は国民よりも大事だということ、核心は自分達の利権、選挙対策資金は手放さない考えだということ、
結局は自民党の視点は国民とは大きく乖離しているということ、時代の変化を読めず、先を見通す目を持っていない、
これからの少子高齢化の時代を任せられる政党ではないことがはっきりしたのではないだろうか。

 二言目には「地方活性化」と言っているが、道路を通せば通すほど地方が疲弊することを理解出来ないのだろうか。
新規の道路は車の流れを変える。道路の終点を除いて、沿線は素通りするようになる。おまけに既存の鉄道の利用価値も下がる。
 このまま自民党に政権を預け続けると、「国破れて道路あり」というようなことになりかねないのではと考えている。

 今、後期高齢者医療制度(最悪のネーミングだ)が騒がれているが、既に2年前に小泉の自民党が強行採決したことだ。
自分が感じているのは今騒ぐのは遅きに失している。結局普段から政治の動向に注意を払っておかないと後で痛い目に遭う。
次の衆院選挙はあらゆる意味で非常に重要な選挙になるだろう。水争い遺称地のごとく国の行く末を変えるくらいの。




 水争い遺称地を過ぎると、緩やかな沢沿いを遡行する。沢は盃流しと同じような滑床となっているが、
岩盤は黒ずんでいて写真を撮る気にはなれなかった。

 まもなく目の前に人工的な土手が見えてくる。もしやこれが亀ノ池だろうか。








12:45 亀ノ池北西隅の出合

 土手に達する直前に分岐が現れた。それには二股に分岐する行き先として、中垣内と亀岩が書かれている。
祇園嶽を目指しているので当然亀岩を示す土手のほうへ上がる。
土手からは見覚えのある亀ノ池の景色が広がっていた。今日初めてルート上で歩いたことがあるところへ到達した。




 亀ノ池の土手に上がったところで、2人パーティーの男性ハイカーとすれ違う。
祇園嶽から上がってこられて、これから城山城跡へ向かわれるという。前述の出合の中垣内方面へ続くトラックへと歩かれていった。
越部古道マップによると途中で城跡へ向かうトラックが分岐するようだから問題ないだろう。








亀ノ池で昼食

 池の端で腰掛けて昼食を摂る。周辺には山桜やツツジが咲いていて、亀ノ池もいつになく華やかな雰囲気だ。
考えたら春に亀ノ池に来たのは今回が初めてだった。




13:29 亀ノ池出発

 暖かい日差しで気持ちよかった亀ノ池を出発。ここから亀岩は何度となく歩いている区間だ。








13:35 亀岩

 亀ノ池から程なく亀岩に到着。新緑とツツジに囲まれて、亀岩もいつになく明るい雰囲気に包まれている。
この時に感じたのだが、この向きに見るとカメが右側に顔を向けているように見える。

 やっぱり亀岩を見るとノコノコを思い出す。最近Wiiのマリオカートが発売されたが、自分はゲームキューブは持っているがWiiはまだ持っていない。
マリオカートをやりたいがためだけにWiiを買うのはちょっと・・。でもマリオカートだけはやりたい。




 亀岩からは新龍アルプス縦走路(通称つつじ尾根コース)を一路北へ向かう。やっぱり尾根道は気分が良い。








13:41 かえる岩

 亀岩からはすぐにかえる岩に到着。越部古道マップでは横からのアングルの写真が掲載されているが、
個人的にはこの後ろからのアングルのほうがより蛙に見えるのではと思う。








 かえる岩から振り返ると亀山が見える。今日の行程では外したが、間近に山容を見ると歩きたくなってくる。

 かえる岩からすぐに供養碑。亀岩、かえる岩、供養碑と見どころが3つ連続する。
その後は祇園嶽に至るまで静かな尾根歩きを黙々と楽しめる。全展望とまではいかないが、時折東側には觜崎から新宮にかけての馴染みある景観を楽しむことが出来る。




 供養碑からすぐに大手道出合。東の山腹に急なトラックが下っている。ここは昨夏07年7月5日に一度下っている。








コバノミツバツツジに彩られたつつじ尾根コース

 たぶんコバノミツバツツジと思うけど、イマイチ山野草の区別は自信がありません。

 つつじ尾根コースを楽しむには今が最適期だということが分かった。この時期ならば桜も楽しめるし一石二鳥だ。
スキーシーズンが終わってしばらく虚脱感に包まれていたが、実際に山を歩いていると難なく山歩きモードに気持ちを切り替えられてしまう。
山歩きのおかげで雪の無い時期も充実して過ごすことが出来るし、脚力も鍛えられるし正に一挙両得だとつくづく思う。








亀山を背に祇園嶽を目指して北へ向かう

 大手道出合以北は一年半前に南向きに一度歩いただけなので、殆ど初めてのような新鮮な感覚だった。
何度かアップダウンを繰り返すが、北向きに歩くと下るほうが多いのでとにかく快適。




 細長い320m+ピークでは稜線上を進むのと、西山腹をトラバースするトラックとに分かれるので、トラバースするほうを進む。
何故なら以前ピーク上で不明瞭な状態を見て引き返した経験があるから。




 トラバースするほうもさほど楽ではない。路肩が崩壊寸前で幅が狭くなっている。
殆どが傾いた地面になっているので、足運びには注意が必要だ。








祇園嶽を間近に見上げる

 320m+ピークをやり過ごすと、北には祇園嶽が見えてくる。
特徴あるピークは周囲から見てとてもよく目立つ。見間違いようのないピークだ。
夕方から曇ってくる予報が出ているが、どうやら祇園嶽に着くまで晴天が続いてくれたようだ。








14:20 祇園嶽南の峠

 はっきりと見覚えのある峠を通過。ここまで来たらもう祇園嶽は目と鼻の先。
とはいえここから祇園嶽へは短いながらもけっこう急坂。考えたら「登り」と表現できる登りは今日の行程ではここが唯一かもしれない。








14:26 祇園嶽山頂直下の出合

 祇園嶽山頂直下で城山城の出城へ向かうトラックが分岐する。
祇園嶽山頂の西に延びる尾根上には数段の削平地で構成された出城が現存する。
初めて訪れた時に立ち寄っているので、今日はパスして祇園嶽山頂へ向かう。後で状況が許せば向かうことにする。








14:30 祇園嶽山頂(340.4m)

 急坂を登り詰めると、今日の行程中唯一の三角点が出迎えてくれる祇園嶽山頂に到着。
三角点の横にはかつてここに神社があったことを示す標柱も建てられている。
三角点の周囲は雑木に囲まれて展望が無いが、少し北東へ進むと大展望が広がってくる。

 今日の行程中唯一の展望スポットということでゆっくりと時間をかけて過ごすことにする。








祇園嶽山頂にて

 向かいには4ヶ月ほど前に曇天の下で歩いた鶴觜山から東山公園がよく見える。
祇園嶽から晴天の景観を見たいという希望は2回目で叶った。

 のどかな景観を楽しみつつ、姫新線の気動車の撮影もついでにこなす。
姫新線は第2土曜ということで運休している便があるようだ。



 祇園嶽からは的場山を除く、新龍アルプスの山々を南に眺めることも出来る。
眺めていたらまた歩いてみたいけど既に何度となく歩いているので、今度は空気の澄み切った日と合えば実行してみよう。




 1時間近く滞在してそろそろ出発しようとしていたら、ご夫婦のハイカーが到着される。
高御位山の地元の方で殆ど毎日のように登られているとのこと。すごい。お話していると久しぶりに歩きたくなってきた。
1年ほど前に歩いているが、暑くなる前にまた考えておこう。




 祇園嶽からはこれまた以前に一度登ったことのある水布弥コースで下って、市野保へ降り立つルートをとる。
一年半の間に倒木はどうなっているだろう。
ちょっと曇りがちになってきたことと祇園嶽で長居したので、出城に立ち寄るのはやめておくことにした。








15:48 祇園嶽南の峠

 峠からは東へ下っていく水布弥コースへ進路を向ける。倒木が改善されていればいいなという希望はすぐに砕け散った。
十数本もの倒木を越えたり、潜ったり。今日の行程の中で水布弥コースが最大で唯一の難所となった。








祇園嶽を振り返りつつ水布弥コースを下る

 もしザックを背負っていなかったら、難所とはいえないかもしれない。身一つなら簡単に倒木をやり過ごせるだろう。
一部ザレ状になっていて、足場が悪いところもあるので要注意だ。
三脚をザックに戻すのが億劫で手に持っていることが多いが、ここではさすがに両手を空けておくのが基本だ。








倒木地帯の次はシダシダ

 ようやく倒木が途切れたと思ったら、今度はシダのジャングルへ突入。
足元が見えないほどではないが、夏にはあまり歩きたくない区間だ。
写真の箇所が最もシダに覆われているところですぐにマシになる。

 尾根の幅が狭まってくる頃にはシダエリアも通過。
まだ葉を付けておらず、西日で明るい雰囲気の雑木林へ入る。








16:15 祇園嶽から下山

 倒木とシダで意外に手強く感じる水布弥コースだったが、下りでは30分もかからなかった。
今日の行程はまだまだ先があるが、山道はここで終わり。
下りきったところは林道のようになっており、一旦は市野保とは逆向きに南へ進む。








16:23 水布弥口

 ここが水布弥コースの起点となっており道標も出ている。
倒木地帯を突破した時に付いたと思われる埃を落としたりして一息入れる。







田園地帯の中を播磨新宮駅へ向けて歩き出す

 祇園嶽では晴れていたのに下山したら予報通りに思いっきり曇ってきた。
山上で晴れていたのは良かったが、これでは夕景の撮影は次回に持ち越しとするしかない。

 この後、最後の目的は車を停めている龍野公園へ戻って夜桜を撮影すること。
さすがに歩いて戻る元気も時間もないので、播磨新宮駅から本竜野駅まで2駅の区間を姫新線を利用して戻る。
列車の運行本数は1時間に1本程度なので、時刻表は事前にしっかりとチェックしておこう。

 播磨新宮駅は市野保から約30分の距離にあるが、大体の区間はこのようなのどかな風景の中を歩くのでさほど苦にはならない。
交通量の多い道路を横切るが、出来るだけ農道を歩くようにするのがベター。








17:05 播磨新宮駅到着

 約30分で播磨新宮駅に到着。4ヶ月前は雨が降ってきたが今日は大丈夫そうだ。
列車の発車時刻まで約20分ほどあるが、既に乗車する列車がホームで待っていた。
列車の中でのんびりと休憩がてら発車を待つことにしよう。

 播磨新宮 → 本竜野 (大人200円)








17:24 播磨新宮発

 自分を含めて数人の乗客を乗せて気動車は定刻通りに発車。このスローモーな動きが堪らない。
そして心地良いバウンド。いつも思うことだけど乗ると降りたくなくなる。次回の龍野は姫新線で来ることにしよう。








17:36 本竜野着

 乗り心地と車窓の景色を楽しんでいるとあっという間に本竜野へ到着。
自分の乗っていた列車は対向の下り列車をやり過ごしてから姫路へ向けて発車していった。

 この次にやってくる下り列車がはばたん列車なので、しばらく駅で小休止をしてから近くの踏切へ撮影に向かう。








はばたん列車

 しっかり夕日が出ていれば良かったけど、まあ良しとしよう。
車内は立ち客も見受けられるほどけっこう混んでいたようだった。この時間は1両では少ないのではないだろうか。




 はばたん列車を見送った後で、龍野公園へ向かう。ちょうど公園へ着くころには日も暮れるだろう。(12日の日没時刻18:40)
空全体としては「晴れ」の表現が許されるくらいだったが、あいにく西空だけが大きな雲がかかっていた。
「播磨の小京都」と形容される龍野の旧市街の風情を楽しみつつ、朝に長時間過ごした聚遠亭へ戻る。








18:50 龍野公園 聚遠亭到着

 日没直後に聚遠亭到着。2本のしだれ桜のうち1本が街灯に照らされていて撮影することが出来た。
三脚やレンズ交換などの撮影準備をしていると、ちらほらと花見客の方々が来られて、しだれ桜をバックに記念撮影をされていた。
ただ朝方と違って撮影が主目的の人は自分だけのようだった。

 昼間とはやはり雰囲気が全然違っていて、1日で2度花見が楽しめる。
今春はしだれ桜は見頃に遭遇することが出来たが、ソメイヨシノは遅すぎた。
来春はスキーシーズンが終わってから、もう少しゆっくりめに咲いてくれることを祈りたい。








文学の小径

 聚遠亭のしだれ桜を楽しんだ後、文学の小径の夜桜を楽しみつつ駐車場へ向かうことにする。
多少葉っぱが目立っているが、それでも文学の小径は幻想的な雰囲気だ。
しかし、この時間に文学の小径を車で通れるということが意外に思った。

 赤とんぼ歌碑方面へ向かっていると、続々と多くの花見客とすれ違うようになる。
大きな駐車場のある赤とんぼ歌碑周辺が散策拠点になっていることが感じられる。
聚遠亭が静かだったのは、日没直後でしかも散策路の終点に位置していたからだろう。
本竜野駅から歩いてきたら、南北どちらから歩いても同じくらいの距離になると思われる。








19:35 赤とんぼ歌碑

 ゆっくりゆっくり撮影しつつ歩いて、ようやく赤とんぼ歌碑に到着。
一帯はグラウンドで遊ぶ人々の歓声や、花見を楽しむ人々で本当にお祭りの様相。皆さん、口々にちょっと遅かったなぁと言われていた。

 夜桜の撮影という最後の目的も終えて、今日の1日がかりの行程も無事終了。充実感に包まれて幻想的な龍野公園を後にする。








今日の行程の断面図です。



上記の行程に加えて、本竜野駅から龍野公園までの約2.8kmを歩いています。


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