「龍野古城散策」 鶏籠山 08年12月4日(木)

国土地理院地形図
 : 25000分の1 「龍野」

参考文献
 : 神戸新聞総合出版センター 【 はりま歴史の山ハイキング 】 P.94 「鶏籠山と的場山」

 先日、新宮の東山公園でライトアップの紅葉を楽しんだが、今度は続けて見頃を迎えた紅葉谷の紅葉を楽しむことにした。
そのついでに鶏籠山から先日登った佐野コースを下り、東觜崎まで歩くというプランを立てていたが、「午前中は晴れ」という予報に反して朝からどん曇り。
プランを大幅に縮小して鶏籠山と紅葉谷だけを反時計回りで歩くことにした。

 紅葉谷は龍野公園に隣接する位置にあって、的場山と鶏籠山を結ぶトラックと合流する両見坂という名の峠まで緩やかな登りの舗装路が整備されている。
東山公園と並んで龍野の著名な紅葉の名所となっている。紅葉谷を新緑の時期に歩いたことがあるが紅葉の時期に歩いたことがなく、その機会を窺っていた。




7:00 龍野公園駐車場出発

 今回は元々半日プランということで車での龍野入りだった。文学の小径を通って紅葉谷へ向かう。
文学の小径もまだ紅葉が少し残っている。けっこう地元の方が多く散歩されていた。素晴らしい散歩道だと思う。








7:15 紅葉谷

 鶏籠山へは龍野城(鶏籠山麓にある江戸時代の遺構)からも登ることが出来るが、紅葉谷下部を経由することも可能。
天気はともかく見頃の紅葉は素晴らしかった!紅葉谷が一年で最も美しいこの時期に来たいと思っていた願いは叶えられた。

 このまま紅葉谷を登ってもよいのだが、鶏籠山を歩いているうちに天気が好転することを期待して後回しにすることにした。
紅葉谷へ入ってすぐに分岐する鶏籠山へ向かうトラックを辿る。








7:24 龍野城竪堀跡

 紅葉谷を離れてすぐに竪堀跡に差し掛かる。上方へ向かって真っ直ぐに伸びているのがよく分かる。
鶏籠山は山上だけではなく、麓にまで古城の遺構が良好な状態で残っている。








7:26 龍野古城登山口

 紅葉谷から麓を辿って龍野城のすぐ裏までやってきた。
木立の向こうには龍野城の櫓が見えているが、自分が目指すのは鶏籠山山上にある龍野古城。
三叉路では龍野城の解説板が設置されている。

 鶏籠山龍野古城

 原生林に包まれた「鶏籠山」は、鶏の伏せ籠に似たような山だったので、その名がつけられたといわれ、山頂には、今もなお風雪に耐えてきた城の石垣などが残っています。
山頂の城は、明応八年、(1499)に赤松一族によって築かれ、赤松村秀が最初の城主となり、この地方を治めていました。
 赤松氏は政秀、広貞、広秀と城主になり、四代七十八年続きます。
 天正五年(1577)、天下統一を目指していた織田信長は、播磨、中国地方を平定するため、家臣の羽柴秀吉に播磨攻めを命じます。秀吉軍は、二万の大軍で揖保川まで
攻め寄り、この様子を眼下に見た赤松広秀は、赤松の滅亡を憂い、城を明け渡し秀吉の軍門に下ります。(のちに、赤松広秀は、但馬の国和田山、竹田城主となる。)
 龍野城は、蜂須賀正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉の最も信頼する重臣たちが代々城主となります。
 その後、1598年頃に山頂の城を取り壊して、麓の現在の地に城が築かれたといわれています。(徳川時代となり、麓の城は、元和三年(1617)龍野藩主として
本多政朝が入城し、藩主が入替わりながら、藩主脇坂安斐、明治四年(1871)廃藩置県まで続く)
 龍野古城には本丸跡、二の丸跡、竪堀跡、八幡宮跡、土塁跡、削平地跡などがあり、弓矢に利用されていた矢竹が群生しています。

 霞城文化自然保勝会
 兵庫森林管理署

 上着を一枚減らすなどして身支度を整えてから、いよいよ鶏籠山へ登りに掛かる。




7:33 龍野古城登山口出発

 鶏籠山は初めて新龍アルプスを縦走した時に一度歩いている。その時は両見坂から入り龍野城へ降りてきたが、今日はその逆向きのルートとなる。
麓から直登する形になるため、鶏籠山の規模を実感出来るだろう。とはいっても鶏籠山の標高は218mなので、あっけなく登れてしまうだろうけど。

 鶏籠山の南斜面は幾分緩やかになっていて、その雑木林の中をジグザグにさほど急でないトラックが続く。
鶏籠山は2年ぶりなので細かいところは覚えていないため、けっこう新鮮に歩くことが出来そうだ。








本格的な登りになる

 南斜面の山裾を南東まで緩やかに登った後、山頂まで続く尾根に向けての本格的な登りとなる。
トラックは落葉で隠され気味だが、よく踏まれて登りやすい。この調子ならすぐに山頂に到達出来そうだ。



 しばらく登っていくと、【土塁跡→】と自分を誘う道標が目に入ったので、躊躇することなく東側の山腹に入っていく。








7:50 土塁跡

 東斜面には予想外に良好な状態で土塁が残っていた。土塁の上に立つと、鶏籠山の東斜面は非常に急峻なことがよく分かる。
揖保川が天然の堀にもなるだろうし、この鶏籠山に赤松家が城を築いたことが大いに納得出来る気がする。








7:58 削平地が現れだす

 土塁跡の少し上あたりから、削平地が設けられている。
削平地は尾根に沿うように、この後山頂の本丸に至るまで数段設けられている。
山城跡を見ていつも思うことだが、本当に地形を巧みに利用していて感心させられる。








8:05 二の丸跡 (200m+ピーク)

 2、3段の小規模な削平地を通過した後、けっこう広い二の丸跡に到着。東側の一角だけ僅かな窓が開いていて、眼下の揖保川を垣間見ることが出来る。
地形図を見ると分かるが、鶏籠山は山頂が2つある双耳峰になっていて、ここはその低いほうにあたる。とはいえ本丸のある山頂との標高差は僅か10mほどだが。
もうここまで来たら登り詰めたも同然。あっけなく登れると思ったけど、土塁跡に寄り道をしたり、撮影しながらでも30分で登れた。








本丸一段下の削平地

 二の丸から本丸へは190m+コルを経て辿り着くが、このけっこう広い削平地が本丸の手前に設けられている。
この削平地で印象的なのは矢の材料に使われていた矢竹が今もなお自生し続けていることである。
今は戦こそない時代ではあるが、第二次大戦戦後のあらゆる矛盾や歪みが一気に表面化した、難しい変革期であるといえると思う。








僅かに残る古城跡の石垣

 麓の江戸時代の龍野城で見事な石垣を見ることが出来るが、自分にとってはこの苔むした石垣のほうがより多くのことを語りかけてくるように感じる。
ここは特に崩れ方がひどいが、龍野古城は江戸時代初期に故意に破却されたことを改めて思い起こさせてくれる。

 この崩れた石垣の間を登ると本丸に到達となる。








8:20 本丸跡 (鶏籠山山頂 218m)

 山上で最も広い削平地ともいえる本丸跡に到着。と同時に鶏籠山山頂でもある。鶏籠山には三角点は無い。
本丸跡では北側に僅かに開いた窓から、觜崎の屏風岩方面を覗くことが出来る。
標高は200m余と低いため、下界の様子が手に取るように分かる。秀吉勢二万をこの城から見た赤松広秀の心境に迫ることが出来るようだ。




8:32 本丸跡出発

 じっとしていると寒いので、早めに出発することにした。下山は北西にある両見坂へ向かう。
両見坂の標高は130m+なので、僅か80mほど下るだけである。








八幡宮跡及び石畳

 本丸跡の北側は比較的良好に石垣が残っていて、古城の野づら積みの粋に触れることが出来る。
本丸跡から一段下には八幡宮跡とそれに向かう石畳がある。城跡の中にこのような信仰の場を見出せるのは珍しいのではないだろうか。








古城石段

 見事な状態で残る石段を降りると、龍野古城の山上の遺構は一通り巡ったことになる。



 両見坂へは概ね歩きやすい尾根道となる。空は今にも降り出しそうな厚い雲。
先を急いだほうが良さそうだった。








9:00 両見坂

 天気のせいもあって薄暗い場面が続いたが、両見坂に下りてきたらぱっと明るくなるようだった。
見頃の紅葉が両見坂にもしっかり残っていた。本当ならこの後的場山方面へ登って行きたいけど、今日はじっくりと紅葉谷を楽しむことにしよう。








正に錦秋の紅葉谷だった




















 今秋はもう充分というくらいあちこちで紅葉を見たと思う。紅葉谷の紅葉は本当に見事で大満足だった。
もう冬を迎えてもいいかなという気持ちにもなった。




9:42 紅葉谷出発



9:52 龍野公園駐車場到着








BACK

inserted by FC2 system