「赤子谷左俣。ゴルジュの威容」 07年6月28日(木)

国土地理院地形図:25000分の1「宝塚」を参照してください。

 東六甲、そしてその裏六甲側は自宅から最も遠く、今まで全く未踏の地となっていた。その中でも最も宝塚寄りで近く、
しかも暑いこの時期には最適ということで選択したのが赤子谷。赤子谷は左俣と右俣に大きく流れが分かれるが、
今回は壮大なゴルジュを通過できるという左俣を遡行することにした。
 距離的にもお手軽な上に(少し歩き足りないと感じるほど)見どころもしっかりあって、お得感満載の遡行となった。





6:50 生瀬駅出発 (左)

 福知山線を利用するのは尼崎の大事故があった直後以来だから約2年ぶり。その時は武田尾からここ生瀬まで武庫渓谷を歩いたのだった。

 生瀬駅を出て線路沿いに西へ。すぐ線路下を潜って国道176号に出る。相変わらず交通量が非常に多い道路だ。すぐ西で有馬街道へ左折。
しばらく車道脇を歩いて、一つ目の南へ渡る橋を見て左折。この橋が横切る太多田川は裏六甲の多くの谷の水を集めて武庫川へ合流する支流だ。
武庫川といえば武庫渓谷の汚れた水は本当に驚いた。下流のほうが意外にきれいに見える。

 橋を渡ったら太多田川沿いに西へ進む。そして一つ目の十字路で南の山へ向かう急坂を登っていく。周辺にはグラウンドなどがあるので良い目印になる。 (右)
正面にはこれから登っていく岩倉山周辺の山々、そして東には整った山容の185mピークが見えている。これから遡行する赤子谷左俣の脱出口は
岩倉山山頂すぐ西の送電線鉄塔下となっており、先日の西山谷のように遡行中に上空を横切る目標物は無い。
赤子谷はふんだんにテープがあるようだが、地図読みの練習も目的の一つであるから、常に現在位置を確かめながら遡行したい。




 グラウンド間の舗装路をしばらく登っていくと谷に沿う未舗装路が始まるが、なんと柵で閉じられている!?
この先に赤子谷があるのは間違いないので、躊躇いながらも柵を乗り越えて先へ進む。
すぐに左手から水音と共に赤子谷の流れが近づいてくる。そして踏み跡も合流してきたことから、前述の柵を避けるルートがあるのかもしれない。

 赤子谷をまたぐ古い小さな橋を左に見ながら緩やかに登っていくと、殆ど崩壊した橋で渡る渡渉地点に辿り着く。








7:25 渡された鉄骨の上を渡る。 (左)

 元々はしっかりした橋があったのかどうか定かではないが、今では鉄骨の上を綱渡りするような要領で渡る。なかなかスリルがあった。
赤子谷はこの辺りで大きく西へ屈曲している。右岸へ渡った後、山道の風情となるがすぐにそこそこ広い平地に出てくる。踏み跡を辿っていくと
すぐに赤子谷が左俣と右俣に分かれる分岐点に着いた。 (右)

 砂利が敷き詰められている川原でウォーミングアップをしたり(忘れていた)、地形図を見たりして小休止をとる。
地形図では右俣にしか水流が描かれていないが、実際には右も左もほとんど水量は同じように見えた。
それにしても思っていたより細い流れだ。今まで六甲の色々な谷を歩いてきたが、最も水量の少ない(タイミングにもよると思うが)谷のような気がする。




7:45 右俣左俣分岐点を出発する

 ほんの一跨ぎで渡渉する。すぐに左俣に沿って進むのかと思ったが、中州となっているところの只中へ踏み跡が伸びている。
間違って右俣へ進みはしないかと少々心配になったが、付近には他に右俣へ進みそうな踏み跡は無いし、試しに歩いてみることにした。








ケルンのある分岐 (左)

 すぐにケルンが目の前に現れた。そしてここが明確に分岐となっているのが分かる。右俣もいずれ歩いてみたいが、
今日はとりあえずゴルジュを見たいので予定通りに左俣へ進んでいく。

 ほどなく左手から赤子谷左俣が近づいてきて、寄り添う形になってトラックが南へ伸びていく。そしてすぐに渡渉地点。
すぐ上流にはごく小さな石組みの堰堤がある。自分の身長とほとんど同じくらいか。こんな堰堤ばかりなら西山谷の遡行ももっと楽に出来るのになぁ。

 渡渉地点ではアジサイがきれいに咲いていたので思わずシャッターを切った。 (右)


 アジサイを撮影した後、すぐに小さな堰堤を2つ越す。足場が設置されていて本当に楽だ。
赤子谷は谷を分断するような堰堤は皆無という、六甲では非常に貴重な純朴な谷だったのだ♪


 2つ小さな堰堤を通過した後、一旦川原へ降りて渡渉。そしてもう2つまた小さな堰堤を通過すると前方にそこそこ立派な滝が見えてくる。








8:08 赤子滝

 こじんまりとしているが、なかなか品の良い滝であると思う。水量の少ない赤子谷左俣の中で最も下流にあるため、
この後現れる他の滝よりも水量に恵まれて立派に見える。赤子滝を眺めて小休止をとる。
これまで殆ど沢床を伝うところがなかったので登山靴のまま赤子滝まで来たが、ここで渓流シューズに履き替えた。やはり軽いし滑りにくいし最高だ。



 ネットで調べたが、赤子谷にはとても悲しい話が伝わっていた。要約すると・・

 平安時代に身分の違いから結婚を反対された二人が都から有馬へやってきた。二人の間には子供が生まれるなど一旦は幸せになるかと思えた。
ところが間もなく夫が亡くなってしまう。残された妻は気丈にも都で子供を立派に育てようと有馬から旅立った。
しかし蓬莱峡辺りまで来たところで、急に子供が泣き出し息を引き取ってしまった。
全ての希望を失った妻は山上へ上がり、両親や夫、子供を想い曲を奏でた後に自死。
それ以後谷からは母を慕う赤子の泣き声、山上からは悲しげな琴の音が聞こえてくるようになったとか・・。


 このような話が六甲に伝わっていたとは知らなかった。とにかく悲しい話である。




 このような悲劇を地名に残した昔の人々に比べて、現在の国の歴史観はどうなっているのだろうか。信じられない発言がこともあろうに防衛大臣から聞こえてきた。

 
 現職の久間防衛大臣による「原爆は仕方なかった」発言。最初、このニュースを聞いた時、確実に大臣のクビは飛ぶと思った。しかし安倍首相はいつも通りかばっていたが。

 自分の歴史認識では昭和20年夏、アメリカはソ連の対日参戦は既に承知しており、そして日本の降伏も間近だと分析していた。
だから原爆投下は状況に迫られたものではなく、むしろ日本の降伏前に駆け込みで行った「人類史上最悪の人体実験」だったと考えている。
しかも実験だから1発だけではデータにならないから2発落としたのだろうと。自分の周囲には被爆体験をされた方はおられないが、書籍を通じて被害状況は
ある程度知っており、だからこそ政治家が責任を放棄したように「しょうがない」と言われれば、被爆国の国民の一人として怒りが湧いてくる。
もちろん、昭和20年8月のような事態にまで追い込まれながら、なかなか戦争終結に持っていけなかった当時の日本の指導層にも免れない責任があるだろう。

 政治家は問題発言の後、いつも謝罪や撤回を行うが、そもそも言葉を消すことは出来ない。「宝玉の瑕は磨けば消えるが、言葉のそれは決して消えることはない」
といったような故事成語が史記にあったような気がする。それを考えると昨今の政治家の発言はあまりに軽い。軽すぎる。それにしても久間はしょうがないおっさんだ。

 そしてこれまで通りに問題があってもかばい続けた安倍首相には改めて限界を感じた。国民が持ち合わせている日本の進路を変える可能性を高める策は政権交代しかない。
いい加減「他の内閣より良さそう」などという消極的支持は止めるべきだ。人が変わることの効果のほうが大きいと思う。政権の安定が良いという考え方もあるが、
それは高度成長期のように軌道に乗っていた時代ならばの話だ。あらゆる制度、組織疲労が起きている今はとにかく変革が必要だ。国民自らが幕末の「薩長土肥」になるべきだ。








8:23 赤子滝出発

 赤子滝のマイナスイオンに満たされて、悲しい伝説が伝わる赤子谷の遡行を再開する。滝の左岸からけっこう急な巻き道が滝の落ち口近くまで続いている。
けっこう急な部類に入る巻き道だと思うが、先日西山谷を歩いたばかりのせいか、それほど難関には感じなかった。

 巻き道は最後にはロープを伝って、赤子滝の上流側の沢床へ降りる。

 すぐに右岸に渡渉。再びごく小さな堰堤を越える。ここからが今日のハイライトだ。








8:31 ゴルジュ手前の比較的大きな段状の滝

 これで水量さえ多ければかなり見応えのある滝になるだろう。滝の下部には何故か樋が設置されている???何のために置かれたのだろうか。








赤子谷ゴルジュ

 段状の滝を右手に見た後、正面を見据えると今日最大の目的地、赤子谷ゴルジュが早くも待ち構えていた。

 かなり深い、そして奥行きのあるように見えるゴルジュであり、自分が今まで歩いてきた谷では味わえなかった魅力を感じた。
まさに秘境ムード満点で、頭の中で「水曜スペシャル」のテーマが流れてくるようだ。

 ここで色んなアングル、そしてカメラ位置を試しながらかなりの時間を撮影に費やす。ということでゴルジュを通過するのに30分近くを要したが、
普通に歩くと5分もあれば、というところだろうか。
 写真はかなり暗めの露出で写しているが、雰囲気を忠実に再現したい自分には適性露出なのである。

 ゴルジュ内の通過は特に難関のようなところは見受けられない。ゴルジュの底を満喫しながら快適に歩いていく。
上空を見上げると今日も暑そうだ。(右) でもゴルジュの底は全く別世界で、外界とは数度温度が違うようだ。








昼なお暗い、といった雰囲気の赤子谷ゴルジュ (左)

 中間付近の小滝に倒木が折り重なっているが、滝身左端が登りやすい。但し水流を足にもろに被るので、濡れても構わない場合に限る。
赤子谷は比較的水量が少ない谷のようだが、それでも渓流シューズを装備して濡れるのを気にせずに歩くほうが楽しいし何よりも安全だ。
時には濡れるのを避けて通る巻き道のほうが危なかったりする。

 倒木帯の小滝を過ぎると、ゴルジュの後半はごく小さな小滝が連続していて快適に歩いていく。






9:05 ゴルジュを通過完了

 普通に歩くと楽しい楽しいゴルジュはあっという間に通り過ぎてしまった。 (右)
涼しい風が吹き抜けるし居心地もとても良い。立ち去りがたいがいつまでも居るわけにはいかないので遡行を再開する。

 ゴルジュを過ぎると谷は西へ大きく屈曲。そしてすぐに南へ折れる。このS字クランクのようなところは周囲から多くの支谷が合流してくるが、
いずれもごく小さなもので水流も無いのがほとんどで誘い込まれるものはない。








2段構えの滝 (左)

 S字クランクを過ぎると2段で構成された滝が立ち塞がる。滝身右側の急斜面にはロープが張られた巻き道がある。
下部の1段目の滝は足場が多いので滝を登った。上段のほうは滑りやすそうで高さもあるので巻き道を辿る。なんなく滝の上に立てた。

 それにしても段々と水量が減ってきたような気が・・。




 少し沢床を上流へ進むと、滑状になった。 (右)
滑を過ぎると再び谷は西へ屈曲する。








9:23 身長にも満たない小滝 (左)

 段々と水量が減ってきたが、時折思い出したように小滝が現れる。高さはないが足場が無さそうなので、左に付けられたロープにすがって登った。




9:25 2段構えの比較的大きな滝 (右)

 小滝からすぐに比較的大きな滝に出会う。ここも左にロープあり。滝の落ち口まで滝身を登れそうだったが、万全を期して下部だけ登ったところでロープを使った。








9:32 1m程度?の小滝 (左)

 左岸寄りに若干水流があるが、ほとんどただの段差になっている小滝を右岸寄りに登る。写真ではもう分かりにくいが肉眼ではまだ沢床には水があるし、沢音もまだ聞こえる。




9:38 赤子谷左俣で確認出来た最上流の小滝 (右)

 ほとんど沢を伝う水は無い状態だが、不思議と滝になっているところには水が流れている。この小滝がはっきりと認識出来た最後の滝となった。
滝身左側の巻き道で登る。








赤子谷上流 (左)

 まだ水はかろうじて流れているが、もはや涸れ谷の様相を呈してきた。何だか雪不足のゲレンデを目の前にしたスキーヤーの心境だ。

 踏み跡、テープがふんだんにあり、仮に地形図を持たなくても赤子谷左俣は簡単に遡行出来てしまう。
でもそれでは地図読みの練習にならないので、なんとか現在位置を特定しようと試みる。支谷の合流、谷の屈曲が大きな手掛かりだ。
方向確認も逐一出来ていたので不安材料は無い。




10:00 水尽きる

 そこそこ歩いてきたが、既に岩倉山までさほど距離は無いようで、谷の源頭部も近いだろう。
渓流シューズの出番も以後はないと見て、座れそうな岩を見つけて登山靴に履き替える。 (右)
まだ谷の地形を成してはいるが、もう水流も水音も無い。身支度をしているとわんさかとやぶ蚊が寄ってくる。ザックに付けたノーマット(電池式)を自分に向けて回していたが、
あまり効き目がないではないか。2、3箇所刺された。せっかくオカリナを持ってきていたが、蚊が気になって楽しめる状況にない。

 なお写真では緑に覆われて分かりにくいが、左岸からごく小さな涸れ谷が合流してきている。




10:12 ようやく登山靴に履き替えて出発

 蚊に追われるように退散する。足元が良くないのを想定してスパッツは再度装着した。
踏み跡は涸れ谷を右手に見て、東へ少し屈曲する本谷に沿って伸びている。








岩倉山へ向けて急斜面を登る (左)

 これまで赤子谷左俣はあまり標高を稼いでこなかったので、ここから100m近い標高差を一気に詰めていく。
考えたら谷の源流部に至るまで殆ど疲れていなかった。急な登りで一気に大汗が噴出す。

 トラック右手にはまだかろうじて谷と分かる地形が見られるが、もう完全に涸れ谷となっている。




 ほぼ一直線に源流部を詰めた後、谷は視界から完全に消えた。
明瞭な踏み跡と豊富なテープが急斜面の上方へ続いていく。最後まで急斜面が続くが、目前の木立が切れて明るくなってきた。
初めての赤子谷左俣の遡行が無事に完了した。




10:27 岩倉山山頂西の送電線鉄塔基部へ飛び出す (右)

 見覚えがあるところに出てきた。東六甲縦走路のすぐ脇にある送電線鉄塔の基部だ。これではっきりと地形図上で岩倉山の山名が書かれている
すぐ西の谷を詰めたことを確認出来た。赤子谷左俣の歩き応えは芦屋地獄谷を全線伝うのとほぼ同じくらいだろうか。谷歩きとしてはお手軽なほうだと思う。

 ここまで殆ど深い森に守られて直射日光を浴びなかったが、鉄塔の基部には曇りがちながらも夏に近い日差しが照りつける。暑いので早々に退散する。




 ここからは樫ヶ峰や甲山を一望出来る展望スポットが隣接している。東六甲縦走路を数メートル西へ歩いて南の踏み跡を辿るだけだ。
ところがなんと樫ヶ峰さえ霞んでいて、甲山がかろうじて見える程度の視界の悪さ。写真を掲載する意味が無いと判断してここでは割愛する。
今日の主目的が谷歩きだからまあ良しとしよう。やはり暑いし早々に出発する。

 このまま宝塚へ向かうのも味気ないので、東へすぐのところにある岩倉山の山頂へ寄っていくことにする。








10:47 岩倉山山頂

 赤子谷左俣を詰めてきた後で岩倉山山頂に立つと、縦走してきた時とはまた感覚が違うようだ。
それはともかくやはりやぶ蚊がうるさいので、水分補給だけしてすぐに出発する。

 快適な東六甲縦走路を一路宝塚へ向かう。約1ヶ月前に六甲縦走を済ませたばかりなのに最近よく通る道だなあと思う。

 街へ出る辺りからが暑くてたいへんだった。もうすぐ7月だし、夏は自分の山歩きの間隔がペースダウンする時期になってしまう。とにかく暑がりなのである。




11:25 阪急宝塚駅到着

 半日もかからないお手軽なプランだった。右俣を組み合わせるべきだったか。しかし水量は少なかったし・・、またの機会にということにしておこう。
次回はもう7月。どこに行こうかなあ。








今日の行程の断面図です。


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