「寒空の丹生山系部分縦走」  07年12月17日(月)

国土地理院地形図:25000分の1「淡河」、「有馬」を参照してください。

 最近、軽めの行程が続いたので、今回は好天の予報もあって歩き応えのあるプランを、そして同じ歩くのにどこか目新しいところはないかと考えてみると、
山歩きを始めて間もない頃に行って以来、約2年半もの間遠ざかっていた丹生山系に思い当たった。六甲山系のすぐ北に位置しており、実は非常に近いのだが。
 前回は丹生山、シビレ山から稚子ヶ墓山までを歩いているが、今回はおさらいの意味で同じルートを辿り、更に夕暮れまで歩けるところまで行ってみようということになった。
というのもこの日は夜から職場の忘年会に珍しく参加するので(通常殆ど呑み会には参加しない)、山から降りてその足で行けるようにという意図も含んでいる。

 ということで車で衝原までやってきた前回と違い、今回は公共の交通機関を利用した。そして気が付いたのだが、自分の場合は車利用の場合と殆ど交通費が変わらなかった。
自由に行程を組むためにも、これから丹生山系を訪れる際には極力公共交通機関を利用することにした。




上記の地形図と併せて、下記の書籍も参照しています。

 神戸新聞総合出版センター 「ふるさと兵庫50+8山」 P.116 丹生山 (現在は改訂版が出版されているようです)




5:57 新開地出発
 神鉄三田行き普通に乗車。冬至に近い今、まだまだ暗い。








6:19 箕谷駅着

 降りると非常に寒かった。さすが北区は冷え込み方が違う。
ここから神戸市バスで登山口である衝原へ向かうが、バス停は駅から少し下ったところにあった。
初めての自分には少々分かりづらく感じた。








6:34 箕谷駅前バス停出発 神戸市バス111系統 衝原行きに乗車 (340円)

 出発時刻3分ほど前にバスが到着。衝原行きに乗り込んだ乗客は自分を含めて3人のみだった。
バスに乗っている間に徐々に夜が明けていく。車窓から空を見上げると今日は予報通りの好天になりそうだった。








6:54 終点衝原バス停着

 殆ど定刻通りに衝原に到着。終点まで乗っていたのは自分だけだった。2年半ぶりの衝原に懐かしさを覚える。
少しだけ箕谷の方向に戻って、有料駐車場のある角から曲がって北へ向かう。前回訪れた時にはこの有料駐車場を利用した。(利用時間は午前9時から。1日500円)

 既に北にはこれからまず最初に登る丹生山が大きく見えている。すぐに志染川に架かる橋を渡って、突き当りを右へ。
すぐに登山口にあたるサイクリングターミナルがある。ここから丹生山へ向かうトラックが「義経道」と通称されている。
丹生山系は六甲山系と同じく東西に長く、そして登山口が豊富にあるが、自分の知っている限りではこの義経道が最もアクセスが便利なトラックだ。









7:01 つくはらサイクリングターミナル(義経道登山口)

 バス停から5分歩くだけで登山口に到着。義経道はサイクリングターミナルの奥から始まっている。
平日でまだ朝が早いこともあって、サイクリングターミナルはひっそりと静まり返っている。

 一の谷の戦いの際に義経の軍勢が通った説があることから名付けられている。(諸説あって確証は無い)
そして古くからの古道でもあるために、特に急なところもなく、とても歩きやすい状態のまま山上へ着いてしまう快適なトラックでもある。


 前回(05年6月)来た時には登山口に義経道の解説板があったのだが、今はただ手製によるここが登山口である旨の案内板があるのみとなっている。
もしかしたら05年にちょうど放映されていたNHKの大河ドラマ「義経」に合わせて期間限定で設置されていたものかもしれない。
それにしては作りがしっかりしていたが・・。
 余談だが今年07年の大河ドラマ「風林火山」は、自分としては非常に面白く、50話ほぼ全てを欠かさず観た。最終回はもちろん史実として知ってはいたが感涙ものだった。
ここまで熱心に観たのは「毛利元就」以来、ほぼ10年ぶりのことだった。(その前は「花の乱」) ハマる条件は「舞台は戦国時代で、信長秀吉家康に敵対する側の人物が主人公であること」のようだ。
ちなみに来年08年大河ドラマは全く興味がないので、また日曜夜は何も観るものが無い状態に戻るだろう。




 歩き出してすぐに今日はまだ準備運動をしていないことを思い出した。落葉のクッションの上でストレッチをして体をほぐす。寒い時には特に念入りに行いたい。




7:10 準備運動を終えて出発

 義経道は落葉に覆い隠されてすっかり踏み跡が無い状態だ。とはいってもトラックがあるのはもちろん見て分かるので問題ない。




 サイクリングターミナルの裏手から始まる義経道は、まず竹林の裾を緩やかに巻いてから、
190m+コルへ向けて山腹を登っていく。しかし前述のように殆ど全てが緩い登りであり、自分にとって実に楽なルートだと感じる。

 ちなみに前回訪れた時は、「ふるさと兵庫50山+8山」だけを持って登った。地形図の重要性を認識した今から考えればめちゃくちゃだが、
おかげでペース配分も何もなく、ただ暑い中をがむしゃらに歩いたという印象しかない。もう一度同じルートを歩いてみようと思った理由はここにある。








7:20 190m+コルを通過

 しばらく山腹を緩やかに登っていくと、丹生山から派生する尾根に乗る。そこはコルになっていて、南には平らな210m+ピークがある。(等高線は閉じている)
この無名峰を目指す方は居られるようで、南に向けてテープが点在しているのが見受けられる。そこそこの笹ヤブを横切るようだが、今の時期なら行けそうだ。
でも今日の行程は長いので、それはまたの機会にということにして義経道を登り続ける。








 一旦はそのまま尾根に乗り続ける気配だったが、尾根が広がるにつれて山腹を東にトラバースし始めた。
あくまで登りやすいところを選びつつ、トラックが付けられているようだ。
ちょうどその時、朝日が葉を落とした明るい森を照らしてとても幻想的だった。今日は素晴らしい日和になりそうだった。








 しばらく山腹道が続いたが、ここから尾根を目指すように登り始めた。2年半前に一度登っているのだが、前述のように本の概略図だけを
参照していたので細かいことは何も頭に残っていない。だから殆ど初めて登るようなものだ。次にどんな景色が待っているのかわくわくしながら登っていく。








 尾根を目指すのかと思ったら、まだしばらくは山腹道が続くようだ。
そして右手には丹生山山上への表参道が通る尾根が見えてきた。山上の丹生神社を目指して、衝原より少し東の坂本から登るルートであり自分はまだ未踏。




 この山腹道の後、再び尾根に乗った。そこは南に336mピークを控えるコルだった。一帯は低い松の木が目立つ明るい尾根だ。
思い出した。この明るい尾根の一角に展望スポットがあるのだった。前回は6月だったから暑かったが。








7:46 320m+の尾根付近より朝焼けを眺める

 遠くに六甲山系を、手前には朝もやに包まれた北区の街並みを眺められるなかなかの展望スポットだ。
それはそれは幻想的な朝の風景だった。しばしこの景観を楽しみつつ撮影した。

 しかし、西から大きな雲が近づいてきて空を覆い始めた。黒く重たい雲。今日は「晴れ」の予報で喜んで出てきたが、
この時嫌な予感がした。そして結局この後下山するまできれいに晴れることはなかった。

 先月21日を最後に自分の休みは晴れていない。(山歩きしていない休みも含めて)
六甲縦走の日も殆ど曇りだったし、最近非常に巡り合わせの悪さを感じている。
今日は良い予報だったから安心していたのだが・・。








 朝焼けを眺めている間にすっかり曇り空へ変わってしまった。
体もすっかり冷え切ってしまってとにかく寒いので登りを再開する。
展望スポットからは336mピークを背にして尾根道を登っていく。義経道下部と違って上部はこの一つの尾根を忠実に辿っていく。








 少し登ったところで趣の漂う道標が現れる。このトラックの歴史の長さを感じさせられる。
これまで低木中心の明るい尾根だったのが、この辺りから深い森へと変貌していく。

 尾根は等高線の狭いところもあるのだが、全てジグザグでクリアしているので記憶通りに急なところは全く無かった。








8:18 墓地群を通過

 しばらく尾根を登っていくと、古い墓地が数段に渡って現れる。
かつて丹生山にあった明要寺の僧達が葬られているという。
明要寺が最盛期を誇ったのは、三木合戦の際に別所方に付いたために、秀吉に一旦滅ぼされるまでとされている。
ここの墓地が戦国時代以前のものかどうかは分からないが、いずれにしても深い歴史を感じさせられるのは丹生山ならではだろう。








8:24 表参道の尾根道に合流

 数箇所の墓地を見ながら緩やかに登っていくと、広い尾根に乗って義経道は終わる。
約1時間半かかったが、普通に歩くと1時間もあれば充分に登れるのではないだろうか。

 ここまで来ると神社のある丹生山山頂まであと少し。一息入れて出発する。








 主尾根に合流すると、山頂までの標高差はたった30mほどしかない。
緩やかで非常に快適な散歩道だ。多少荒れてはいるものの竹林や古い石標で雰囲気も抜群だ。

 龍野古城で矢に使われていた竹を見たが、ここも同じ目的で植えられていたのだろうか。








     
8:35 丹生山城、丹生山明要寺跡到着

 奥に丹生神社の鳥居が見えてくると、かつての明要寺の境内跡に到着。
現存する石垣は明要寺のものだそうだ。秀吉は一旦滅ぼした明要寺を三木合戦後に復興したという。この石垣がいつの時代のものか興味があるが、
雰囲気的には近世のもののような気がする。というのも、ここ以外に丹生山のあちこちで見受けられる遺構は土塁や堀切のみだからだ。








     
まずは丹生山山頂へ

 シビレ山、帝釈山へ向かう前にまずは丹生山の山頂を踏んでおこうと、丹生神社の境内へ入っていく。
鳥居横の木には兵庫登山会の山名板がお出迎え。516mと書かれているが、地形図では515mとなっている。



鳥居脇の解説板
 丹生山の自然と歴史

 丹生山はこれまで幾度か火災や伐採があり、そのため大部分がアカマツ・コナラ
などを中心とした樹林となっています。現在では山頂部には、モミ・ツガ・カヤなどを
はじめ、アカガシ・アラカシ・ウラジロガシ・ヤマモモなど自然に近い樹林があり、
山腹のスギの植林地には、アオキ・ヤブツバキ・ヤブニッケイなどが見られます。
さらに低いところではアカマツ林や、コナラ林が多くなり、ネジキ・クリなどの高木や
ヒサカキ・シャシャンボ・ミツバツツジ・ネズミサシなどの低木があります。

 神戸市・環境庁・兵庫県








     
8:45 丹生神社境内

 丹生神社は大きく分けて2段構えになっている。1段目は社務所と土俵がある。
今は人気が無く静まり返っているが、大晦日から元旦にかけては賑わうのだろうか。

 そういえば相撲人気の低下が言われて久しいが、自分はもうとっくに相撲は国技とはいえなくなっていると考える。
今は相撲よりは野球かサッカーのほうがしっくりくるのではないだろうか。競技人口も観戦人口も多いような気がする。
自分はというと全く相撲に興味は無いし、子供の頃から相撲をとった経験は一度も無い。
そこへいくとNZ人のラグビーへの情熱は凄かった。どんな小さな町にもラグビーグラウンドが必ずある。
プロのラグビーリーグもあるし、観戦及び競技人口の裾野も広い。頂点のナショナルチーム“オールブラックス”はあまりにも有名だ。
あれこそが真の国技と呼ぶに相応しい姿だと思う。








丹生山山頂(515m)

 社務所と土俵から石階段を登ると本殿のある境内に到着。全然山頂らしくないけど、ここが丹生山山頂だ。
景観は殆ど無いが、僅かに南東隅に木々に隙間があって摩耶山方面まで見通せる。でも空気は澄んでいるけどやはり天気は好転しそうにない。

 しばし山頂で過ごした後、社務所と土俵前にあるベンチで一休みした。
でも後の行程の長さを考えたら、ここで休んだのはちょっと失敗だった。

 休憩中に境内にコーヒーの空き缶が落ちていることに気付く。ゴミ袋が多少嵩張るが、よりによってここのような神域にあるゴミを見過ごすことは出来ない。
自分は神を全く信じていないが、信仰の対象となっている場所には配慮はする。ゴミを見つけたことを最近は逐一書いてはいないが、目に余ることだったので記述した。







9:10 丹生神社(丹生山山頂)出発

 待っていても晴れそうにもないし、そろそろシビレ山へ向けて出発する。
今回の行程は部分的にピストンすることになるが、2年半前の印象が良かったので今回も立ち寄ることにした。


 前述の鳥居を再びくぐって、シビレ山へ向けて北へ進む。しばらくは車も通れそうな幅広の下り坂。

 すぐに480m+コルへ降り立つ。ここにも分岐があり、東斜面の下方に見える建物へ下っていく道がある。
神社の関連施設だろうか。ちなみに地形図には建物も道も何も記述は無い。


 分岐はやり過ごしてコルを北へ向かう。このコル上には土塁と削平地が見られる。
丹生山城、もしくは明要寺の遺構である可能性が高いと思われる。








9:19 シビレ山・帝釈山分岐

 丹生山から帝釈山へ向かうのならここから東へ登っていくのだが、前述の事情で帝釈山は後回しにしてまずシビレ山へ向かう。
シビレ山へは丹生山系の主尾根に乗るまでは等高線を辿るように楽な山腹道を歩いていく。








9:30 シビレ山・帝釈山分岐

 しばらく山腹道を歩くと、程なくして東西に走る丹生山系の主尾根と合流。山系の名前に冠せられている丹生山だが、
主尾根から南に外れるところに位置しており、しかも標高のより高い山が近隣にあるので主役としてはちょっと物足りない気がする。

 東の山腹には帝釈山に向けて急な登りが見えるが、そこは後回しにしてシビレ山へ向けて主尾根を一旦西へ向かう。
義経道同様、昔から使われてきた道のようで、歩きやすく掘り下げられており尾根道らしくない。

 すぐに次の分岐が現れる。公設の道標あり。北の淡河へ降りていくトラックが分岐している。地形図には全く記載されていない。
淡河までけっこう距離があって、一度歩いてみたいと思うが行程を組むのが難しいかもしれない。








9:34 シビレ山・不動滝分岐

 淡河への分岐からすぐにまた分岐が現れる。まっすぐ下っていくと不動滝(地形図にも記載あり)へ。
左手へ登っていくほうが引き続いて主尾根を辿っていくトラックだ。道標はここにも完備されている。

 木々越しにこれから手始めに向かう512.8mピーク(朝日山)が見えている。
距離的には近いがこれから50mの標高差の急坂を登らなくてはいけない。滑りやすい難所と記憶している。








512.8mピーク(朝日山)へ向けての急坂

 距離、標高差こそ短いが、ひたすら上へ真っ直ぐトラックが伸びている。
トラロープがトラック北側に張られている。登りはともかく下りではロープに頼らずに下るのは難しそうだ。
今日の行程で初めて!?といえる急坂であり、肌寒いのに一気に汗が噴出してくる。








 ようやく滑りやすい急坂を登りきると、トラックは一気に緩くなり、しかも南側には景観が広がってくる。
近くには先程まで居た丹生山、その肩越しに六甲山系。写真では分からないが肉眼では摩耶山上のアンテナ群まで確認出来た。


 展望を楽しんだところからすぐ上でピークを目指す細いトラックが分岐する。ピークを経ずともシビレ山へ向かうことは出来るが、
せっかくだから踏んでいく。トラックは細いので、草木を払いのけながらという感じで登っていく。分岐からの標高差は10mほどと思われる。








      四等三角点 点名:シビレ山
9:50 512.8mピーク(朝日山)山頂

 今日初めての三角点ピークである512.8mピークへ到着。三角点の点名はシビレ山だが、実際のシビレ山はもう少し西なので要注意。
周囲はそこそこ伸びた草木に囲まれて、全開の展望とはいかない。
それでも背を伸ばしたらまずまずの景観を楽しめる。今日の行程の最西端であるシビレ山は展望皆無の山だということは分かっているので、
ここで大いに眺めを楽しんでおこう。








512.8mピークから西方の景観

 播磨平野の中に雄岡山、雌岡山が目立って見える。殆ど同じ標高の筈だが、ここから見るとかなり雌岡山が大きく高く見える。
ちなみに自分は小さな頃にこの雄岡山、雌岡山近くのキャンプ場に行ったことがあるようだが、はっきりと覚えていない。


 南西にはつくはら湖が見える。湖西部からシビレ山に登ることが出来るようで、今回はそこから登ることも考えたが、
義経道を再び歩いてみたかったので、またの機会にとっておくことにした。








9:59 512.8mピーク出発

 10分程度の滞在時間でピークを出発。次の目的地であるシビレ山へ向かう。正面に見えている送電線鉄塔の立っている山だ。
ピークの西側から、主尾根を辿る縦走路へ向かう細いトラックが下っていく。
こちらも草木に当たりながらという感じ。このピークはあまり夏には踏みたくないところだ。

 すぐに縦走路へ合流。しばらくは平坦で快適な尾根歩きを楽しめるが、この後再び難所がある記憶が。








450m+コルへ向けての非常に滑りやすい急坂

 正面には間近にシビレ山が見えてきた。地形図にも書かれている通り、ピークが東西に2つ並ぶ双耳峰だ。
このうち西側のピークに465m標高点とシビレ山の山名の記載がある。送電線鉄塔は正確には両ピークより西にあって、今日の行程では下を通らない。

 しかしこの急坂の区間はシビレ山を眺めている余裕はない。
砂交じりで足がかりが少なく、非常に滑りやすい。ロープに頼らずに下ることは困難だろう。
そろそろ急坂を下りきるというところで、少し油断したら思いっきり滑ってしまった。ここは下りきるまで気を抜けない。
もしかしたら、ある意味今日の行程中で最大の難所かもしれない。




 思いっきり滑ってしまって、体についた砂を払いながら、450m+コルへ降り立つ。ほっとする。同じ滑るのならそろそろ雪の上を滑りたいものだと思った。

 そうこうしているとすぐに分岐に差し掛かる。この時うっかり分かれるトラックの行き先確認を忘れてしまったが、方角から推測するとシビレ山から南へ伸びる尾根へ向かいそうだ。
この尾根はつくはら湖西部まで伸びており、これがまだ未踏の縦走路かもしれない。

 分岐をやり過ごして短い登りを経ると460m+ピークへ到着。シビレ山の東の肩に辿り着いた。








10:17 シビレ山古代祭祀跡

 シビレ山の東の峰、460m+ピークには“シビレ山古代祭祀跡”がある。
長い歴史に彩られた丹生山系だが、その中でもここは特に興味を惹かれるスポットのうちの一つだ。

 現場には何の変哲もないように見える岩が散在している。果たして人工物なのか天然のものなのか(天然のものでもここに集められた可能性もある)、見た感じ判然としない。
詳細を示す案内板などは何もなく、余計に好奇心が湧いてくる。




 古代祭祀跡のある460m+ピークからは、すぐにシビレ山(465m)に到着出来る。
ピークの直前には再び北へ下る分岐がある。ここには道標は一切無いが、地形図から見ると不動滝方面へ下ることが出来そうだ。








10:25 シビレ山山頂(465m)

 深い森に覆われて展望の全く無いシビレ山山頂に到着。地形図に山名も記されているが、ここには三角点は無い。
ピークを経て西へトラックが続いている。どこへ続いているのか確かめたいが、それはまたの機会にしよう。

 ここでザックを下ろして10分程度休憩する。今日の行程はシビレ山まで達した後はただひたすら東へ向かうことにしている。
「淡河」、「有馬」の2枚の地形図を並べて、この後歩く丹生山系の主尾根を再確認する。このシビレ山で10時30分ということは、
どこかで縦走を中断して下山しなければならない可能性が高いことを薄々と感じ始めた。序盤にゆっくりし過ぎたかもしれない。




10:36 シビレ山山頂出発

 シビレ山山頂から歩いてきた縦走路を再び東へ戻っていく。しばらくは歩くことに集中しよう。

と思いつつも、512.8mピーク南斜面を通過中に展望が開けて再び撮影タイム。
まあ、日の短い今の時期に縦走にこだわることはないと思い、納得できるまで風景写真を撮影することにした。








512.8mピーク付近からの景観

 ピークからの景観よりも広く見渡すことが出来る。つくはら湖を挟んで南には、シビレ山と似た名前のシブレ山が見える。送電線鉄塔が立っているのが目印だ。

 ここからは山深い雰囲気の丹生山系の景観を楽しむことが出来るが、天気がイマイチなのが残念だ。




11:02 シビレ山・帝釈山分岐

 往路の約半分の所要時間で、丹生山の北にあるシビレ山・帝釈山の分岐まで戻ってきた。
ピストンはここまでで、これからは今日初めてとなる区間だ。分岐から見えている範囲はけっこう急坂だが、
トラックはすぐに山腹道になって傾斜は緩む。主尾根上に位置する510m+ピークは踏まずに南斜面をトラバースした。
丹生山系は古道が多いこともあって、無理にピークを通らずに山腹道で省エネを図るパターンをよく見かけると感じる。








11:07 丹生山城堀跡

 510m+ピーク南東の500m+コルで一旦尾根に乗る。その付近では丹生山城の堀(正確には堀切だろうか)らしき地形を見ることが出来る。
秀吉に全山焼き討ちされるまでは、丹生山一帯は一大要塞になっていたことを窺わせる。

 堀切を横切って、緩やかに尾根上を登っていく。忠実に尾根を辿ると、細長い520m+ピークに到達しそうだったが、
再び尾根上を離れて北斜面にトラックは続いていく。そしてそのまま520m+ピークから離れて、帝釈山へ通じる510m+コルへ進む。








11:14 510m+コルを東進中

 この付近で丹生山から北上してくるトラックと合流。丹生山から帝釈山へ直に向かうと、この辺りで主尾根に乗ることになる。
前回は複雑な地形で翻弄されて歩いた気がするが、今回は地形図で現在位置を照合しながら歩いたので、かなり丹生山付近の地形が把握出来てきた。

 縦走路沿いには頻繁に「丹生山系縦走路」と書かれた案内板が設置されていて元気付けられる。
六甲縦走路と違って、かなり静かな雰囲気が続く良い縦走路だと感じる。








11:19 537mピークを通過

 510m+コルから緩やかな登りを経て、平らな537mピークを通過する。深い森に覆われて展望は全く無い。




 537mピークからしばらく下ると、南の坂本から登ってくるトラックと合流する。
地形図では車も通れそうな実線道が尾根上まで上がってきているが、実際には普通の山道のように見受けられる。
 なお、分岐のすぐ北の岩場を降下する(安全な足場あり)ことで、分岐を見ずに東進出来てしまう。
注意深く観察していないと、やや把握しづらい分岐のように感じた。




 坂本分岐を過ぎると右手(南方)には小高い520m+ピークが見えてくる。
でもここでもトラックはピークへは向かわずに北斜面を直進して、ただひたすら帝釈山へ向かう。

 520m+ピークの北斜面を通り過ぎて、行く手に帝釈山への登りが見えてくると、再び分岐に差し掛かる。
手書きの小さな案内板には鉱山跡へ通じていることが書かれている。520m+ピーク東の谷を下るようだが、地形図には描かれていない。
丹生山にもけっこうたくさんのトラックがある。これから一つ一つ踏破していきたくなった。








帝釈山へ向けて山腹道を登っていく

 帝釈山の西には、主峰とほぼ同じ高さで比較的大きな560m+ピークが並んでいる。地形図を見る限りでは、
ピークに向けてそこそこ急な登りを想像させたが、実際にはその南斜面を緩やかに登っていくトラックが続いていた。
少々肩透かし、という気持ちと、ラッキー!という気持ちが半々という複雑な気分だ。

 それでも非常に快適な縦走路であることには間違いない。気持ちよく帝釈山へ歩いていく。








11:38 帝釈山の西で主尾根に乗る

 しばらく山腹道を緩やかに登っていくと、久しぶりに主尾根上に復帰。ここから帝釈山までは忠実に主尾根を辿りそうだ。
一方、前述の560m+ピークまでを目指しそうな踏み跡がここから西へ続いているようだった。
しかし、平らで広い等高線が書かれているから、展望皆無であることを予想して立ち寄るのは止めた。








帝釈山山頂へ向けて最後の登り

 これまで長い間、緩やかな登りしかなかったので、そこそこ険しく感じる帝釈山山頂西斜面の登りだ。
岩が散在しているのを見て山頂が近づいてきたことを感じさせられる。
久々の帝釈山山頂を楽しみにしつつ、じっくりと登っていく。








          
二等三角点 点名:帝釈山
11:49 帝釈山山頂(585.9m)

 祠やその残骸と思われる石が散在する帝釈山山頂に到着。この神錆びた雰囲気は帝釈山ならではのものだろう。
片隅には今日二つ目となる三角点と、兵庫登山会の山名板も出迎えてくれる。
そして、上空の雲も薄くなって、比較的日も差し込み始め、そこそこ暖かくなってきた。
先を急ぎたい気もあったが、せっかくの帝釈山山頂だし、ちょうどお昼時なので腰を下ろしてゆっくりしていくことにした。

 事前の予想では、昼頃には岩谷峠から稚子ヶ墓山の辺りに居るのではと考えていたが、
やはり序盤で時間を取り過ぎてしまったようだ。縦走を中断して下山する形になるだろうから、下山ルートを考えつつ歩かなくては。
 ということでこれより以後は撮影間隔をやや空け気味にしたいと思う。







帝釈山山頂から南西の景観

 幾分角度が限られるとはいえ、帝釈山山頂からは丹生山方面の展望を楽しむことが出来る。
直線距離ではまだまだ丹生山は間近だ。けっこう歩いてきたとはいっても、シビレ山まで遠回りしただけだから当然といえば当然だが。




12:12 帝釈山山頂出発

 約20分の滞在で帝釈山山頂を出発。一時はそのまま晴れそうな雰囲気だったが、やっぱり今日は曇りで終始するようだ。
諦めて行程を先に進めることにした。結局、帝釈山山頂で過ごした時間が今日は最も天気が良かった。








帝釈山東斜面はけっこう急坂

 比較的なだらかな山容の西斜面と比べると、帝釈山の東斜面はかなり険しく感じる。時折、ロープが張られているほどの要注意の急坂もある。
山頂からずっとそのまま東へ下るのかと思ったが、一旦は南東方面へ下っていく。同方向に尾根が伸びていて、他よりも幾分緩くなっているから
迂回する方法にしたのかもしれない。とはいえ、そのまま下ると下山してしまうので、ある程度下った後、主尾根を辿り続けるために北東へ進路を変える。




 帝釈山山頂から岩谷峠へ至る区間は、主尾根の中でも比較的地形が複雑になっているように感じる。
余計そう感じさせる要因は忠実に主尾根上を辿らずに、北斜面、南斜面と局面が交互に変わること。そしてピークを巻くことが多いことだろう。

 帝釈山山頂東にある500m+ピークは北斜面をトラバース。まあ、仮にピークを通ったとしても平らで広いので森の中で展望は無い可能性が高いだろう。








12:25 480m+コルを通過

 500m+ピーク北斜面を通過して少し下ると480m+コル。ここには公設の案内板があって手助けになっている。
しかし、主尾根がこの付近で北寄りに曲がっていること、そして南へ向かうトラックが分岐していることなどから、仮に道標がなかったら戸惑うことになりそうだ。
そういえば、初めてここを歩いた2年半前には、完全に方向感覚が失われたような記憶がある。

 今回は地形図を見ながら歩いてきたので、ある程度これから向かう方向が分かっていたので、状況を把握しながら安心して通過することが出来た。
丹生山系縦走路には、自分を含めて歩き慣れていない人には、時としてこのような戸惑う局面が用意されているような気がする。


 480m+コルを通過すると、再びロープが張られた急坂。しかもここは登りでも滑りそうなほど見た目にも危なそうな急坂だ。ごく短いが慎重に通過。
登りきると一旦尾根上に復帰するかと思われたが、今度は530m+ピーク南斜面をトラバースする山腹道になる。
帝釈山の東側の尾根では最も標高が高いので、ピークを通過してほしい気持ちもあったが忠実に山腹道を辿っていく。

 530m+ピーク東で再び尾根に復帰。(500m+コル)
この辺りの前回の記憶はもう全く無い。早く岩谷峠に着かないかな〜と、暑がりながらぼーっと歩いていたのだろうか。








12:35 520m+ピーク通過

 500m+コルから僅かに登り返して小ぶりの520m+ピークを通過。ここでは珍しくトラックがピーク上を通っている。
振り返ると、先程までいた帝釈山がまだ木々越しにそこそこ大きく見えている。
けっこう歩いたような気がするが、この辺りが帝釈山と岩谷峠の中間付近になりそうだ。








12:43 496mピーク通過

 520m+ピーク通過後、しばらくは高低差の少ない平坦な尾根を北東に進む。
そして珍しく標高点の記されている496mピークを通過。二等辺三角形のピークの上辺をかすめるようにしてトラックが通過していく。
幾分木々が生い茂っているが藪は無いので、そこそこの人数でも小休止できそうだ。

 496mピークからは北へ進路を変えて、一路岩谷峠へ下っていく。
ピークの北外れでトラックは分岐するが、少し下ったところですぐに合流しているようだった。緩い道、急な道との選択のようで、
いずれを選んでも問題無く岩谷峠まで下れそうだ。

 岩谷峠が近づいてくると、足下から時折車の騒音が聞こえてくる。丹生山系縦走路中、ごく短い車道歩きとなる区間の始まりが近づいてきた。
その前に前回の記憶が全く残っていないが、岩谷峠到着直前で交差点になっている分岐があった。
496mピークから下ってきたら右折が正解。(道標あり) 分岐からはすぐに岩谷峠に到着だ。








12:52 岩谷峠通過 (439m)

 国道428号が敷かれている岩谷峠に到着。NTTドコモの基地局が傍らに設置されている。前回にも既にあったかどうかは全く覚えていない。
ちなみに自分は未だに携帯を持っていないが、その事を言ったら殆どの方に驚かれる。今や自分以外は必携アイテムになっているようだ。


 ところで峠といっても車道が貫いているので風情は無い。




 次は稚子ヶ墓山へ取り付くことになるが、登山口へは岩谷峠からしばらく車道を歩いて南へ向かう。帝釈山から稚子ヶ墓山へ向かうなら緩やかな下りでの通過となる。
車道の帝釈山側を歩くほうが幾分スペースが広いように感じる。交通量は平日昼間はそこそこだった。








12:59 国道を離れて双坂池方面へ (400m+)

 岩谷峠から緩やかに数分下ったところで稚子ヶ墓山の山名板がある脇道が分岐する。案内にはここから稚子ヶ墓山まで1.5kmとある。
国道脇にけっこうスペースが空いているので、車を2、3台停められそうだ。ここで手持ちの地形図(マップケースに入れている)を
これまで使ってきた「淡河」から「有馬」へ入れ替える。

 稚子ヶ墓山への登山口は双坂池(地形図には名前は記されていない。北東隅に386m標高点の記載がある)という溜め池脇にある。
登山口へはここからもうしばらく細い舗装路を緩やかに下る。


 それはともかく、この辺りから双坂池手前まではとにかく不法投棄のゴミがいっぱいで目に余る惨状を呈している。
ゴミの後始末も適切に出来ないとはお気の毒としかいいようがない。中にはワゴン車がまるごと捨てられていた。放置されて久しいように見えるが、
警察はこのことを把握しているのだろうか。いずれにしても、風情ある丹生山系縦走路の魅力を削がれてしまう事態で真に遺憾である。








13:11 双坂池東岸の稚子ヶ墓山登山口

 国道を離れてしばらくすると双坂池の岸辺に出る。その一角から稚子ヶ墓山への登りが始まる。
双坂池ではバス釣り中らしき方が竿を振っていた。この池でも釣果があるのだろうか。



 ここにも兵庫登山会による案内板が設置されていて、稚子ヶ墓山への距離は1.1kmとなっている。

 登山口からしばらくは雑木林の中の緩やかな登りといった感じでおとなしい出だしだが、
2年半前に初めて歩いた時には完全にバテてしまった区間がこの後待っている。








稚子ヶ墓山へ続く沢沿いのガレ道

 双坂池から稚子ヶ墓山を目指すと、山頂付近まで殆どが谷道となる。地形図では双坂池から稚子ヶ墓山へ向けて、まず谷沿いを登るように
破線道が記されているが、ここは驚くほど現状に即している。途中で谷が2方向に分岐するが、そのうち南側の谷を登ることも地形図通り。

 この谷の区間では、写真のようなガレた状態のトラックが延々と続く。比較的岩は大きめのものが多くて安定しているように思えるが、
浮石を踏まないように足元に集中して登る。特にこの時期は落葉で不確定要素が隠れていることが多かった。

 このガレた谷道をもって、510m+コル付近まで約120mの標高差を稼ぐ。前回バテた経験を踏まえて、今回は地形図で見通しを立てて
じっくりと歩いた結果、ペースを崩さずに登りきることが出来た。

 ちなみに2年半前は6月ということもあって、この谷道は特に蒸し暑く、休憩しようと腰を下ろそうものなら、わんさかと蚊が湧いてきたのだった。
でも今回で見事に稚子ヶ墓山の登りの苦手意識を払拭出来たようだ。




 510m+コル(南と北の550m+ピークに挟まれている)で谷を詰めると、そこからはしばらく山腹道となってほっとする緩やかな登りに変わる。
一つ谷を挟んで稚子ヶ墓山が大きく見えてくる。ここからまだけっこう登りが残っていると見て感じる。
510m+コルからは南の550m+ピークの東斜面を巻いて、稚子ヶ墓山山頂の西側の尾根直下に到達する。








13:38 530m+コル

 前述の南側の550m+ピークと、稚子ヶ墓山に挟まれた530m+コルに到着。
ここから稚子ヶ墓山まではただひたすらまっすぐに尾根を登るだけ、となる。稚子ヶ墓山までの最後の登りを前に小休止をとる。

 ここは分岐にもなっていて、南西方向の岩谷へ下るトラックが分かれている。このトラックも地形図に記載がある。ルートまで合致するかどうかは分からないが。
公設の道標には「岩谷川・無動寺」と書かれているが、それに「危険・DANGER」と手書きで書き加えられている。地形図では尾根の途中に岩場が見受けられるが、
これを指しているのだろうか。何がどう危険なのかいずれ確かめてみたい気がする。








稚子ヶ墓山山頂へ向けて

 530m+コルから稚子ヶ墓山山頂への標高差は約70m。それ程長くはないが、そこそこの斜度の登りが続く。
山頂に近づくにつれて、帝釈山の時のように岩が目立ってくる。それぞれの岩は苔むしていて、何だか日本庭園のような風情だ。








     三等三角点 点名:稚子ヶ墓
13:52 稚子ヶ墓山山頂(596.3m)

 尾根を登りきるとようやく今日3つめの三角点ピークとなる稚子ヶ墓山山頂に到着。双坂池の取り付きから約40分。前回の印象からすると早い気がする。
稚子ヶ墓山は東西に長いピークで、この三角点のある地点は最西端にあたる。だからここだけを指してピークというのは少し違うかもしれない。
とにかく、三角点のある地点では樹林に囲まれて展望は全く無い。

 三角点と兵庫登山会の山名板の隣には、稚子ヶ墓山の山名の由来になっている悲劇についての解説板もある。

 
稚子ヶ墓山

 この沢※を登りつめたところが稚子ヶ墓山(596m)です。
頂上近くに稚子の墓 それは、羽柴秀吉の三木城攻めのさい
丹生の僧兵が別所に味方した為、全山が焼きうちにあい、
そのとき死んだ侍童 稚子を葬ったものだという伝説があります。
 
(※ 先程登ってきたガレた谷を指しているのだろうか)




13:58 稚子ヶ墓山三角点広場を出発

 三角点では展望皆無だが、少し東へ進むとがらっと雰囲気が変わるので先を急ぐ。
広いピークの上はしばらく590m+で標高が変わらない。平坦な雑木林を東へ歩いていく。








     
14:02 稚子ヶ墓山伝説遺跡

 今日の行程中最後となる展望スポットに到着。同時にそこは稚子ヶ墓山の悲劇を伝える遺跡でもある。
近年整備されたようで、戦国時代から同じ姿を保っているようではないようだが、悲劇を偲ぶには充分かもしれない。
盛り土の上には碑が建てられている。

伝説の椿を守って下さい。 平成元年五月七日

稚子墓山伝説遺跡 山田民俗文化保存会


 三木合戦は元々の元を辿れば、秀吉の傲慢さと配慮の無さに原因があった可能性がある。
当初は織田家に恭順の意を示していた三木城の別所家を毛利側に走らせたのは明らかに秀吉の失策といえるのではないだろうか。
過去にも信長の勘気に触れた経験を持つ秀吉には焦りがあったように思える。裏付けるように播磨各地では秀吉勢による狼藉が伝わっている。
晩年には朝鮮侵略まで企てたこともあって、歴史上の人物の中で秀吉は自分が好感を持てない人物の一人になっている。




 遺跡の前面には窓が開いていて、ちょうど正面には明石海峡が遠望出来た。
前回来た時には霞んでいて海まで見えなかったので、正面に明石海峡が見えることをこの時に初めて知った。
この角度から海峡を眺めるのはもちろん初めてで、毎日電車から見ている海峡でも目新しさを感じる。

 しかし、いかんせん今日は雲が幅を利かせていて、冬の太陽が頼りなげに時々顔を覗かせるばかり。
じっとしているととにかく寒かった。レンズを交換していろいろな画角で撮影を試みたが、やはりこの天気ではぱっとしない。



 出発前に今一度地形図を眺めてこの後の行程を再検討する。
日没まで3時間もない状況で、果たしてどこまで歩くべきか。
出来れば未踏の金剛童子山辺りまで東進してから谷上方面へ下りたかったが厳しい状況。
でもこのまま稚子ヶ墓山から下って肘曲り経由で柏尾台へ下れば、2年半前と全く同じ行程になってしまう。それではあまりにも私的につまらない。

 ということで、一旦肘曲りへ下った後、未踏の花折山までをピストンしてから柏尾台へ下ることにした。
これなら残り時間の間に下山出来るだろう。丹生山系縦走はもっと日の長い時期に行うべきだったと思った。




14:36 稚子ヶ墓山伝説遺跡出発

 約30分の滞在で出発。稚子ヶ墓山は2度続いて曇天になってしまった。どうも相性が良くないようだ。いずれ晴天の下で再訪してみたいものだ。

 稚子ヶ墓山から東へ下る区間も、驚くほど地形図の破線道は現状に即していた。
前回戸惑った510m+コルでの北への方向転換も現状通り。ここにも道標はあるが、他にも脇道があったりして戸惑う要素が残されている。
この510m+コルまでは尾根上を、一旦等高線沿いに北にトラバースして後、肘曲りまでは谷沿いを下っていく。








14:46 肘曲りへ向けて谷を下り始める

 510m+コルから緩やかに北へトラバースして、木立が途切れたところが肘曲りへ下る沢の上流付近にあたる。
改めて地形図の正確さに感心することになった。例によって踏み跡は厚く積もった落葉で完璧に隠されているが、
この転換点も道標があることにより、さらに確信をもって歩くことが出来る。

 時期柄もあるだろうけど、肘曲りへ下る沢はほとんど涸れていて水は全く流れていない。
今は水よりも落葉で滑りやすくなっていることに気をつけたい。右岸、左岸と渡渉を繰り返しつつ下っていく。
そういえば、この沢沿いでも前回は蚊に悩まされ続けたことを思い起こした。個人的に稚子ヶ墓山は蚊の多い時期には歩きたくない山だ。








14:55 肘曲り通過 (450m+)

 谷を下っていくとガレた広場に出る。肘曲りという名前が特徴的な分岐だ。
ここからは柏尾台へ下る下山ルート、そして花折山、志久峠へ向かうルートが分かれている。
前回はここから柏尾台へ向けてこのまま下ったのだが、今回はそれに未踏の花折山へのピストンを加える。

 前回肘曲りで印象に残っているのは、休憩中に蚊に多く刺されたことと、同じ案内板が2つもあってムダなこと。
いかにも役所仕事っぽい気がする。どんなヘマをしても税金で尻拭いをすることこそが、この国に蔓延している無責任さを増長させている気がする。

 薬害肝炎のことでもそうだが、被害者への補償と謝罪は厚生省や薬品会社のOBらからも供出してもらうのが当然ではないだろうか。




 肘曲りからは今日初めての未踏区間となる、志久峠を越える「志久道」をしばらく登っていく。ややガレてはいるが、谷から離れる分だけ水気が無くなり、
乾いて歩きやすくなっている。志久道の花折山分岐までの標高差は約50m。
等高線の幅はそこそこ開いており、ずっとつづら折りの状態で続くため急なところはない。
未踏の道を歩いているとはいえ、展望は全く無いし少々退屈な感は否めない。








15:08 志久道花折山分岐

 志久峠越えはいずれ行うとして、今回はとにかく花折山を目指す。
花折山の山名は、稚子ヶ墓山で秀吉勢に殺された稚子達を弔うために地元の方々が花を折った山ということで名付けられたという。
どんな花だったのか、稚子ヶ墓山には花が無かったのか、いろいろ気になる点はあるが・・。
いずれにしてもこの時期に花は咲いていないだろうから、少々淋しい花折山初登頂になってしまった。








花折山周辺の丹生山系縦走路

 志久道を離れて、花折山を目指す辺りでも地形図の破線道はかなり正確だと感じた。
地形図通りに花折山山頂直下へ辿り着くまでは、殆ど高低差の無い快適なウォーキングを楽しめる。

 この辺りでは振り返ると木々の枝越しに先程まで居た稚子ヶ墓山がまだけっこう大きく見える。
木に登ったら視界が開けそうな明るめの森にはなっているが、単独行では無茶は出来ないので止めておく。








15:18 花折山山頂西の分岐

 木々の枝越しに前方に花折山のピークが見えてきたと思ったら、トラックが2方向に分岐した。縦走路の案内板が示すのは花折山山頂を通らないほうで、
花折山北斜面をトラバースするようだ。地形図には山頂を経由する破線道しか書かれていない。

 正面に進むトラックにはテープ以外に道標も何も無かったが、山頂へ真っ直ぐ向かうことはもう疑いようがないので進むことにした。


 花折山山頂付近はそこそこ等高線が混んでおり、距離的には短いもののやや急なトラックが続く。
ひたすら高みを目指して、テープを参考にして歩きやすそうなところを選んで登っていく。








     四等三角点 点名:花折山
15:27 花折山山頂(573.8m)

 地形図で想像していたよりはそこそこ広いと感じる花折山山頂に到着。今日4つ目で最後となる四等三角点「花折山」がお出迎え。
今日の行程は三角点ピークがかなり豊富だ。

 基本的に花折山山頂も展望は無いが、南に降りていく細い踏み跡の一角だけ僅かに開いていて、下界を垣間見ることが出来る。
この細い踏み跡はどこかへは下れそうだが、今日は不確かなルートを下るには時間が少な過ぎるのでまたの機会にしたい。

 三角点の横で小休止をしていると、低くなった西日が時折覗くようになった。日没までは約1時間半。そろそろ下山しなくては。




15:36 花折山山頂出発

 再び歩いてきたルートを辿って、まずは志久道、そして肘曲りを目指す。
下山をあせって浮石を踏まないように気をつけて歩いていく。




15:45 志久道・花折山分岐通過




15:51 肘曲り通過

 登りの半分の時間の15分で花折山から肘曲りまで下ってきた。
ここから柏尾台までは2年半前にも下ったことのあるトラックだ。しかし、ガレて歩きにくいことこのうえない。
稚子ヶ墓山への登りもガレと表現したが、実はこの肘曲りから下の荒れ方のほうがひどい。
ここは本当に気をつけて足場を注視しながら歩くべき。比較的大きくて安定しているように見えても、実は浮石だったりする。








 肘曲りからひたすら柏尾台へ向けて下っていく。地形図通りにずっと谷沿いを下っていく。夏なら蚊が多い。
そして徐々に谷が広がりを見せてきたら柏尾台が近い。








     
 まもなく柏尾台へ、というところで思いっきり晴れてきた・・。今日昼間はずっと曇天だったから、きれいな夕焼けを見て少々複雑というか何というか・・。
今日は一日中「晴れ」という予報を出してくれたウェザーニュースにクレームをつけようかと一瞬思ったが、そんな野暮なことは止めておく。



 柏尾台に出る直前で、小休止を入れる。この先は道筋が分かるので、ここで地形図「有馬」の入ったマップケースをザックに収納した。








16:23 柏尾台登山口

 夕焼けに染まる中、柏尾台登山口に降り立つ。ここは住宅地の隅にあり、「志久道」の石標が出迎えてくれる。
登山口の周囲には柏尾台の造成地が広がっているが、建てられている住宅はまばら。2年半前と殆ど状況が変わっていないことに少々驚く。

 ただ、住宅街をしばらく下ると空き地のほうが少なくなる。柏尾台からはとにかく歩道付きの広い車道沿いを下っていけば大丈夫。
住宅街へ登るためだけには少々立派過ぎる感のある陸橋を渡って、衝原と箕谷駅前を結ぶバスが通る交通量の多い道を目指す。








夕暮れの丹生山系

 今日朝から曇天の下で歩いてきた山々を見上げる。もう少し早く晴れてくれれば言うことはないのだが。
最近2ヶ月程の自分の山行は驚くほど曇天率が高い。まさに曇りのロイヤルストレートフラッシュをひいた気がする。




 バス道に出ると、東そして南に向かって一路箕谷駅を目指す。この辺りの道は知らないが、今朝バスで通った時の記憶を頼りに歩いた。
それにしても夕刻の箕谷付近は交通量が非常に多い。皆、どこから来てどこへ行くのだろうか。








16:55 神鉄箕谷駅到着

 柏尾台登山口から約30分で箕谷駅到着。結果的に振り出しに戻った。今度、丹生山系を歩くのは4月か5月くらいにしよう。




 この後、ハイカー姿のまま神戸の街に出て忘年会へ向かった。といっても酒を呑めないので、お茶とジュース片手にひたすら食べるだけだが。












今日の行程の断面図です




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