「觜崎の屏風岩を巡る」鶴觜山〜東山公園

JR東觜崎駅〜鶴觜山〜東山公園〜JR東觜崎駅 07年1月25日(木)

国土地理院地形図:「龍野」25000分の1を参照して下さい。

 06年11月30日、祇園嶽から鶏籠山を縦走した際(「嘉吉の乱、終焉の地を訪ねる」の項参照)に、山上から見た「觜崎の屏風岩」が印象に残っていた。
前回で一気に龍野の街と姫新線が気に入ったので春の到来を待って再び訪れる予定だったのだが、この暖冬のせいで前倒しすることにした。
但し、2回だけでは龍野を味わいきれないので、どのみち近い将来にまた訪れることになるだろう。なお今日の行程の中には龍野の街は含んでいない。

 今回のルートは、「はりま 歴史の山ハイキング 電車・バスで日帰りできる30コース」 神戸新聞総合出版センター P.82 鶴嘴山、そして
「播州野歩記」さんの【駅からはじまるハイキング 觜崎の屏風岩コース】【姫路市大回り、その13(觜崎ノ屏風岩)】【三回目の鶴觜山(たつの市)はルンルン】
を参考にしている。但し、この山域をより堪能するために自分なりのアレンジを加えている。

 なお前回の高御位山同様、道中でかなりの時間を撮影に充てており、所要時間はあまり参考にならないことを付記しておきたい。

 上記の書籍には鶴嘴山(つるはしやま)と表記されているが、地形図上では鶴嘴山の表記はなく(263.2m三角点表記のみ)、
その代わりに同山塊上に名勝「觜崎ノ屏風岩」と表記がある。付近の地名も觜崎、東觜崎、姫新線の駅名もしかり。
野歩記さんもレポで記述されている通りに、山名も「鶴觜山」となるのが適当だと考えて、ここではそれで統一する。

 実際に歩いてみて思ったのだが、通常は山名はそのまま山頂を指し示しても不都合はないが、この「鶴觜山」という山名は、山塊全体を指している
ものではないかということであり、特定のピークに冠するのは適当ではないのではないかということである。よってこのレポでは“鶴觜山山頂”という
表現は使わないことにしたい。

 今回もアクセスは車ではなく、もちろんJR姫新線を利用している。自分にとって姫新線の気動車に乗ること自体も大きな目的の一つだからである。
そしてもう一つの目的は気動車の撮影である。今日はこれにもかなり労力を充てていて枚数はかなりのものになった。興味の無い方もおられると思うので、
別項に分けておいた。もし気が向かれたら、番外編ということで当ページを閲覧後にでも目を通していただければ幸いである。列車に興味がなくても、
沿線風景を通じてより深くこの觜崎の地の雰囲気が伝わると思う。





6:03
 姫路駅出発。高架工事の進んだ姫路駅の中で、姫新線のホームはまだ地上にある。今日も1両のみの上月行き始発列車だった。

6:36
 東觜崎駅到着。姫新線は殆どの駅が無人駅であり、下車する際は運転手に改札してもらって先頭車両の前側ドアから降りる。
姫新線を利用する際はイコカなどのカード類が使えないので要注意。
 姫路行き列車と行き違うために、乗ってきた列車はここでしばらく停車するようだ。しばらく駅構内で撮影をする。


6:43
 東觜崎駅出発。上下線の列車が発車して人気のなくなった駅を後にして出発する。(左)
 登山口までの道筋はごく簡単。駅舎を出たら一つ目の三叉路を北へ、突き当たったら西へ。踏切を渡って、また突き当たったら北へ。
觜崎橋東詰の交差点に辿り着いたら北側に見えている鳥居が目印である。(右)


6:56
 觜崎橋東詰めの交差点を渡って、登山口にあたる古宮天満神社へ。ここが実質的に登山口にあたる。
この付近には磨崖仏などの見どころが点在しているが、それは後回しにする。


 鳥居から石階段を登っていくとすぐに古宮天満神社に辿り着く。(左)

 境内の左側は岩場になっており、境内入り口の鳥居横には登っていけそうなところがあったので登ってみる。
そこは揖保川の右岸に位置する絶壁上の岩尾根だった。(右) 写真に見えている橋は姫新線の鉄道橋。行く手にはこれから登っていく尾根筋がよく見える。
鉄道橋を挟んで揖保川の中ではなにやら工事が行われているようで、現在は多少美観を損ねているのが残念だ。

 天気は朝方は雲がやや多めだったが、段々薄くなっていくようで安心した。

 今日の行程前半は岩尾根の区間が多いが、この後一旦墓地を通過する。細い尾根筋を辿るだけだから道なりに進めばよいのだが、
テープ類などの目印が豊富で何も考えなくても歩けてしまう。


 墓地の真下を姫新線の気動車が走り抜けていく。崖上に位置しているため、くれぐれも足元にはご注意を!
平日朝は姫路方面に向かう列車がけっこう頻繁に通るため撮影は容易だ。とはいえ神戸線の頻度には程遠いので、姫新線の列車ダイヤを確認しておくことは重要だ。
本編ではこれ以上姫新線については詳述しないが、今日の行程前半は列車の通過音と汽笛を時折聞きながらの情緒ある山歩きだったことを付記しておきたい。


 鉄橋上を通過するとそろそろ墓地は途切れて、徐々に岩尾根は高度を上げていく。
そんな時に目に入るのが、「ようこそ鶴嘴山へ ご安全に・お気をつけて  山頂まで約1.5km 1時間 鶴嘴山愛好会」と書かれている放置された看板。
ここから山頂に至るまでの間時々目に付いた。昨年歩かれた野歩記さんもこの放置物のことに触れられていて、愛好会による自主撤去をちょっぴり期待したのだが、未だに撤去されていなかったのは残念だ。

 今のは見なかったことにして岩尾根(雑木林もあり)歩きを続ける。緩やかな斜度から徐々に高度を増していくようだ。
途中で獣除けのゲートがある。かんぬきだけなら簡単なのだが、それだけでは閉まらないので縄が括りつけられている。
解くのに少々手間取った。通過して閉めなおす時に次の人が開けやすいように堅結びにはしないほうがいいだろう。


 時折通り掛る姫新線の列車を見送りながら、岩尾根を登っていく。始めは緩やかだった岩登りが段々と険しさを増していく。
ただし滑りやすい岩ではないので、下りでも問題なく歩けると思う。登るごとに高度を上げて、周囲の景観が広がっていくので気分爽快。

 この付近で自分撮りや、数本の姫新線の列車を撮影したので、今日もなかなか行程が進まない山歩きになった。


 段々急になる岩尾根を登ってくると、情緒たっぷりの「寝釈迦」の景観が広がってくる。その景観により彩を添えるのが視界の中央を横切る揖保川の流れだろう。
憧れの景観が眼前に広がって何ともいえない思いに浸りつつ、撮影のためにまたしばらくここで逗留する。
今日もゆっくりした足取りなので、この時点でもかなり日が高くなってきた。

 この辺りでは一部にロープも設置されているが、何とか何も頼らなくても登っていける。


8:23 觜崎の屏風岩頭頂部到着。

 まもなく広い岩尾根の頂上部に辿り着く。同時にそこは觜崎の屏風岩の頭頂部にあたっており、見事な奇岩を間近に観察することが出来る。
岩の前には昭和6年に文部省により設置された「天然紀念物屏風岩」と銘打った石碑が建っている。最近まで真っ二つに折れていたらしいが、現在は修復されている。
石碑自体もかなり古いものだからそれなりに文化的価値があるのではないだろうか。今度は壊れなければいいのだが。


觜崎の屏風岩、その頭頂部

 見事な節理をじっくりと観察出来る。しかし近づくほどに足場は悪くなるので要注意。

 この後、トラックは頭頂部の上を通過していくが、揖保川に面しているほうはこのように絶壁になっているので、東側から登っていく。


觜崎の屏風岩頭頂部(168m) でオカリナを一吹き♪

 東側から巻いて觜崎の屏風岩頭頂部に到着。地形図では168m標高点にあたっており、ここが鶴觜山山頂と定義されても違和感はないと思う。
北を除いて絶壁になっており、ほぼ全周囲を見渡せる。また柱状節理という自然の造形も楽しめてしまうという素晴らしい展望台だ。
右の写真は、同じく柱状節理で構成されている岩場で、現地では「オルガン・パイプ」と呼ばれている。(NZ→南島→ダニーデン→オルガン・パイプの項参照)
觜崎の屏風岩頭頂部の上面はこのオルガン・パイプを横にしたような感じだった。あちこちで柱状節理の岩を見てきたが、ここも天然記念物に指定されただけのことはある見応えだ。
岩質はザラザラしており、乾燥している限りでは滑る心配は無いだろう。一方、オルガン・パイプはとても滑りやすくて、降りる時はスリル満点だった。
同じ節理でも岩質はいろいろあるようだ。

 ここでももちろん撮影のために40分ほども留まることになる。東觜崎駅を出てから早くも2時間近く経っているが、普通に歩くと30分程度で着く距離である。
ただ見どころが非常に豊富なので、足を止める時間を長めに考慮しておくことをお薦めする。


「寝釈迦」の好展望

 觜崎の屏風岩頭頂部からは、揖保川を挟んで横たわる「寝釈迦」を遮るものなく見渡すことが出来る。
鶏籠山を顔、城山城跡辺りまでを上半身として、横たわる釈迦に見立てているという。美作街道の名所として古くから知られているということで、
信心深い昔の人々の豊かな感性を感じることが出来る。
 また寝釈迦に見立てられている山々は、「新龍アルプス」とも通称されており、自分自身も最初に触れたとおりに先日縦走している。
一度でも歩いた山を見ると、やはり格別の気持ちで眺めることが出来ると思う。個人的には寝釈迦の山々を縦走してから、鶴觜山を訪れたほうが良いのではないだろうかと思う。


絶壁上にある頭頂部。遥か足下には揖保川の流れが見える。

 高いところ好きな自分にはまさに気分爽快なところだ。しかし、節理でつまづく可能性も考えられるので、あまり縁に近づかないほうがいいと思う。


城山城跡(亀山:きのやま)から祇園嶽の景観

 鶏籠山からはじまる「寝釈迦」の山々は、祇園嶽(右)を最北にして市野保へ至る。いずれまた新龍アルプスを縦走してみたいものだ。
觜崎から揖保川を挟んで城山城の周囲は嘉吉の乱の際の古戦場でもある。現在はのどかな田園風景が広がっており想像するのはかなり難しいが、
今日オカリナで吹いた ♪アメイジング・グレイス は嘉吉の乱で戦没した赤松、幕府両軍の将兵を偲んで演奏した。
嘉吉の乱については別項で触れているのでここでは詳述しない。


9:25 觜崎の屏風岩頭頂部出発

 いつの間にか40分ほども時間が経っていた。今日の行程は元々距離はそれほど長くはないが、これまで歩いてきた距離はまだそのほんの一部なので
そろそろ重い腰を上げて出発することにする。


高低差僅少、好展望の快適な尾根道の始まり

 觜崎の屏風岩頭頂部(168m)からは2つのピークを経由して、今日最高所となる263.2m三角点ピークをまず目指すことになる。
ほぼ全ての区間を通じてまばらな雑木林で、随所で展望の開ける楽しい岩尾根歩きである。まだ撮影するところは豊富にありそうだ。
なおこの尾根は姫路市とたつの市の境界尾根ともなっている。


9:52 200m+ピーク到着

 僅かながら登っただけでまもなく200m+ピークに到着。途中で撮影していなければもっと早く着ける。
ここも觜崎の屏風岩頭頂部(168m)に迫る好展望のピークだ。居心地が良いのでここでもしばらく滞在する。


10:07 200m+ピーク出発

 ここからは尾根は東寄りに向きを変えて次の210m+ピークへ。
葉の落とした雑木林のおかげで明るい雰囲気の中を楽しく歩ける。やはり山には植林よりも雑木林が似合う。
再び殆ど高低差のないまま、210m+ピークへの登りとなる。


  
10:19 210m+ピーク到着。

 最後だけやや急な岩登りを経て210m+ピークに到着。再びほぼ全方位が開けた素晴らしいピークだ。ここも自分にとってお気に入りの場所になった。
巨岩が点在するロック・ガーデンのような趣がある。行く手には263.2mピークが端正な姿を見せている。

 小春日和のおかげで居心地の良さは倍増。雰囲気の良いピークが連続する稀有な山歩きになった。
辿り着くピークがいずれも好展望なのは六甲、播州を見渡してみてもあまりない。もちろんここでもまたしばらく逗留することになる。





10:34 210m+ピーク出発

 立ち去りがたいところばかりで困るが、そろそろ出発することにする。
ここでも再びやや北寄りに尾根は向きを変えて263.2mピークへ。


263.2mピークへの登り

 部分的にはシダに囲まれたところもあるが、大部分はこのような雑木林の中を歩いていく。葉を付けた時期に来るとまた違う雰囲気が楽しめるだろう。
210m+ピークからも鞍部を経ずにほぼ平坦な尾根を歩いて263.2mピークへアプローチできる。


10:49 263.2m三角点ピーク付近の岩場到着

 野歩記さんのレポのおかげで、三角点の周囲は殆ど雑木林に囲まれていることは知っている。
263.2m三角点ピークはやや南北に長くなっており(50mくらいか)、この展望の岩場はその南端に位置する。
三角点よりも前にここの岩場で存分に展望を楽しんでおこう。今日最後の展望地でもあるからだ。
ここでは北西から南西までほぼ180度の展望が広がっている。


南方の景観。正面やや左寄りに167.8m三角点ピーク(愛宕山)。手前の2つの池は奥池(左)、皿池(右)

 空はきれいに撮れたが下界はややアンダー気味。少し露出不足かもしれない。
前回、使いこなせていなかったAEB撮影(自動的に三段階に露出を変えて撮影出来る機能)が出来るようになったので、今度は試してみよう。


南西の景観。これまで歩いてきた尾根筋、そして寝釈迦を一望出来る。

 この山域も自分にとってお気に入りの一つになった。また違う季節(夏以外)に歩いてみよう。
広い岩場で展望をひとしきり楽しんだ後、263.2m三角点ピークを目指すが、もう既に北の雑木林の中に見えている。


 北西の方角だけ窓が開いているが、基本的に展望の無いピークだ。冬枯れの今はそれなりに明るいが、普段は木陰で薄暗いかもしれない。
今日の行程で唯一の三角点は、四等三角点「点名:池ノ内」。

 三角点の北側には前述の「鶴觜山愛好会」による、ここまでのピストンで觜崎へ引き返すように薦める案内が木に括りつけられている。
ここから北はほんの数年前まで地形図とコンパスが必携だったようだが、今では明瞭なトラックになっていることは事前調査済みである。
基本としていつでもコンパスと該当する地域の地形図は持っているが、今日も一度も使うことなく歩いてしまいそうだ。


11:10 263.2m三角点ピーク出発

 数分過ごしただけで263.2m三角点ピークを出発して北へ向かう。ピークの北斜面はかなりの急斜面で木々につかまりながらという感じだが、
すぐにまた緩やかな尾根道になる。前方には次に通過する240m+ピークが正面に見えている。
263.2m三角点ピーク以南と同様、明瞭な分かりやすいトラックが続いている。
しかし岩尾根ではなく、展望を楽しみながらというわけにはいかないようだ。ちょうど曇りがちになってきたし、少々撮影にも疲れてきたので、
ここから撮影のペースを落として行程を先に進めることにする。


 かつては藪漕ぎするところもあったという263.2m三角点ピーク以北の区間だが、コンパスを出す場面もなく歩けてしまう。
気をつけるところといえば、2つ目に通過する240m+ピーク(その2。同じような標高のピークが2つ連続する。上記の本では243mとなっている)で、
進行方向を北へ向けること、ぐらいか。しかしここも北へ明瞭なトラックが続いているし、方角を変えないと踏み跡も無いし藪に阻まれる。

 2つ目の240m+ピークを通過するとしばらく下りが続く。(左) 降りきった鞍部(180m+)では下山出来るエスケープルートとの分岐があるはずだったが、何故か見過ごしてしまった。
鞍部からは北の広い230m+ピークに向けて、短いがやや急で登り応えのある区間が続く。今日の中で難所に入るのはここくらいかも。
この南斜面は日当たりが良く、かつては藪漕ぎを強いられる区間だったようだが、ここも踏み跡は至極明瞭だ。

 登りきるとしばらくほぼ平坦なシダ原の中をトラックが通っている。ここがピークらしくないが230m+ピークだろう。(上記の本では234、230mと2つのピークが表記されているが、
殆ど2つのピークの間に高低差は無く、また距離も短いので1つのピークと扱ってもよいと思う。)

 広いピークを過ぎると、後はしばらくまた下りが続く。(右)
降りきって幅のある尾根を右に左に曲がりながら踏み跡を辿ると、唐突に行く手が崖に阻まれて踏み跡は左手に降りていく。そこが切通しの峠だった。
263.2m三角点ピークからの歩行時間は約30分だった。


11:43 切通しの峠到着

 車が1台通れるくらいくらいの幅だろうか。かつては人々の往来があったのであろうが、今では殆ど人の気配が無く荒れ果てている。古い峠の雰囲気は充分だ。
写真では南を向いているが、この後北へ進む。すぐに程々に整備された林道に合流。植林の中を緩やかに下っていくと「大正池」に到着する。


11:57 大正池到着

 信州にある同名の池と違ってこちらは名前負けしているとは思うが、人工護岸を外してみればなかなか良い雰囲気だ。


12:10 大正池出発

 大正池から林道を緩やかに下っていくと、ごろごろした石が転がるやや歩きにくい状態になる。それでも六甲の石切道の最下部ほどではない。
しかも程なく舗装路に出てくる。


12:20 大正池下の三叉路を通過

 上記の書籍通りのルートを通ると決めていたので、ここで右折して北東へ向けて舗装路を登っていく。一貫して緩やかな登りだが退屈な区間だ。
書籍通りに歩く計画を変更してここから下ってもよいのではという気がしたが、後でその判断がけっこう正しかったと感じることになる。


12:26 ゲートを迂回

 退屈な舗装路を歩いているとヘアピンカーブになり、曲がったところにゲートが現れる。
ゲートを開けることも出来そうだが面倒くさいのでゲートの左横からすり抜けることにする。

 ゲートを過ぎてもまだしばらく退屈な舗装路は続く。そして舗装路が途切れたと思ったら、そこは殺風景なだだっ広い広場だった。


12:35 だだっ広い広場に出てくる

 「この空間は何?」というのが正直な感想だった。東山公園の一部と考えてよいのだろうか。だとするとあの閉められたゲートはどう考えればよいのか。
整備する途中で止めたのか。よく分からないが、自分以外人気の無いとても異質な空間だと感じた。もっと良い季節には親子連れとかが遊びに来るのだろうか。
このベンチの存在が所在無さげに感じる。どうもこれは役所仕事が絡んでいるような気がしてならない。

 野歩記さんによるとこの辺りから曽我井城跡(180mピーク)へ向かうことが出来るようだが、それは次の機会にとっておくことにする。

 小休止した後、この原っぱを下のほうへ向けて歩き出す。原っぱの端まで来ると遊歩道らしきものが現れる。
道なりに下っていくと小さなダムを巻いて、遊具の点在する谷間にある公園まで降りてきた。そこが東山公園だ。
 

12:50 東山公園を通過

 紅葉の名所だったような気がするが、今の冬枯れの時期は人気も無く静まり返っている。
園内の遊歩道を緩やかに下っていくと、前方に国民宿舎志んぐ荘が見えてくる。いずれここで一泊して龍野でゆったりしてみたいものだ。

 志んぐ荘前の車道に出て、北へすぐのところから吊橋で対岸へ渡ることができる。


12:58 東山公園橋を通過

 全長159m。水面からの高さは9mの吊橋。完成年月日は昭和43年6月だからけっこう古い。
橋は自分一人が歩くだけでけっこう揺れるし、おまけに風がけっこう強く吹き付ける。三脚は主塔の基礎の上に設置して、撮影位置まで静かに歩いて移動した。
この吊橋を設置した理由は、播磨新宮駅から東山公園へ訪れる人々の利便性を考えてのことなのだろうか。よく分からないがなかなか景観として馴染んでいるような気がする。


東山公園橋全景。後ろに見える白い建物は国民宿舎志んぐ荘。そのまた後方の山は曽我井城跡(180mピーク)

 上記の書籍では、ここから播磨新宮駅へ向かい行程を終えるが、觜崎の屏風岩をしっかりと見たい自分はここから揖保川沿いに南下を開始する。
しばらく右岸の土手上ある1.5車線?(歩道無し)の狭い車道を辿る。しかしこの道は狭いくせに交通量がけっこう多い。路肩を歩行するがここは危険だ。
途中堰などの障害物が点在するが、可能な限り河川敷を通るほうがいいと思う。揖保川の流れに沿って遊歩道でも整備してくれるとなかなか良いトラックになると思うが・・。


13:38 觜崎の屏風岩の北辺の景観

 朝方滞在した觜崎の屏風岩頭頂部周辺の断崖よりは少し北になるが、こちらのほうがより屏風っぽく見えないだろうか。
事前にネットで調べておいたので、しばらくしてこれは見たのと違うと思い至ったが、あの断崖も屏風に当てはめて良いのではないか。
というか、どこからどこまでが觜崎の屏風岩と呼んで良いのか。文部省はどこを決め手に昭和6年に天然記念物に指定したのか未だによく分かっていない。
これはもう少し調べてみる必要がありそうだ。

 しかしそれをおいても、この断崖の景観も充分景勝地に値すると思う。


 この周辺の河川敷は運動場?のような空間になっている。至るところから川辺に下りることは容易い。
ただし、前述したとおりに川に沿う遊歩道が整備されているわけではないので、この見事な景観を生かしきれていない現状がとても歯がゆく感じられる。

 それにところどころゴミが溜まっているところがあるのも残念だ。上流から流されてきたっぽいところもあるが・・。
いずれにしても子供連れで歩き、そして遊ばせるにはちょっと抵抗が感じられる。

 ここから少し南へ下がったところにある運動場端の擁壁の上に腰掛けて遅い昼食を摂る。揖保川の流れと対岸の景勝地を眺めながらのおにぎりは最高だ。ちょっと風が強かったが・・。


14:11 觜崎の屏風岩を対岸に望む

 運動場から歩けそうなところを選んでしばらく南下する。砂地で歩きにくいところもあるが、概ね川に沿って辿ることが出来た。
そして朝方に長逗留した、觜崎の屏風岩頭頂部(168mピーク)を正面に見えるところまでやってきた。
地形図で景勝地の地図記号 “∴” と「觜崎の屏風岩」と表記されているのはこの辺りだ。

 頭頂部からまっすぐに巨大な1枚岩が川辺まで続いているのが圧巻だ。あの辺りの写真をネットでよく見かけるが、
その左右にも岩壁が続いている。やはり直に目にしないと伝わらないことは多いものだと思う。


 觜崎の屏風岩の景観をさらに引き立てているのが、この揖保川の清流だと思う。
自分は子供の時に川で何度も泳いだが、それがこの揖保川なのである。正確にはここよりももっと上流にある親類の居る山崎町(現宍粟市)でだが。
かなり下流に位置する龍野でも清流が保たれていることが純粋に嬉しい。夏ならばじゃぶじゃぶとここから渡って、屏風岩の直下に立つこともできるのではないか。


觜崎の屏風岩、その全景と揖保川

 播磨新宮駅へ向かわずに南下してきて正解だった。いつまでも守っていきたいと思わせる景観だと思う。
すぐ下流では何やら堰に関連するような工事が進行中だが、ここには手を触れないでもらいたいものだ。天然記念物だから大丈夫だと思いたいが・・。


 ここからさらに川辺を南下すると工事現場が構図に入ってしまう。そしてもう一つの目的である姫新線の沿線風景の撮影のために川辺を離れて車道へ上がる。
繰り返すが交通量はかなり多いので要注意だ。この付近から東觜崎駅へは普通に歩くと30分程度で辿り着けるが、しばらく列車の撮影のためにうろうろしていたので
次の写真まで時間がかなり空いていることをまず述べておきたい。


 姫新線の撮影をとりあえず終えて、觜崎橋まで南下してくると、橋の袂に見事な巨木と小さな拝殿がある。(左)
これは対岸に位置する「觜崎磨崖仏」の礼拝のために建てられたものだそうだ。今では磨崖物の直下まで近づけるが、昔は対岸から見るしかなかったのか。
とするとどうやって岩壁に仏を彫ったのかと思うが、崖の上から吊られて彫ったのだろうか。そうだとしたらスリル満点な作業だったろう。
肉眼で対岸の崖を見ると、何となく何かが岩壁にあるという風にしか見えず、磨崖仏のことを知らなかったらただの崖としか思えないだろう。昔の人は目が良かったのだろうと思う。

 望遠レンズに付け替えて見たらはっきりと磨崖仏を認識出来た。(右) ざっと見て200m近くありそうだ。
対岸から人々が手を合わせていた光景が思い浮かぶ。

 ところでこの拝殿から対岸の磨崖仏のある岩尾根を見ていて、鶴のクチバシを連想した昔の人が「鶴觜山」と名付けたのではないだろうかと思った。
それだけなかなか見られないユニークな地形だと思った。


バードウォッチング (左)

 望遠レンズを付けていたときに偶然頭上をトンビらしき大きな鳥が通りかかってくれたので試しに撮影してみた。逆光ながらなかなかよく撮れていて感動した。
スポーツモードでは5枚/秒で連続撮影出来るのだが、その連続シャッター音にまた驚いた。

 バードウォッチングを終えた後、觜崎橋を渡って磨崖仏(右)を直下から観に行く。一帯は工事中で時折工事車両も通るためにあまり雰囲気は良くない。
それでも間近に磨崖仏を見ることが出来て満足だ。ただ訪れた時刻が遅くてちょっと日陰に入ってしまったので、今度はもう少し早めに立ち寄ってみよう。


県指定文化財 嘴崎磨崖仏

指定年月日 昭和44年3月25日
所有者・管理者 新宮町

 揖保川東岸の鶴嘴山岩壁に彫られたこの磨崖仏は、舟形光背をもつ等身大の地蔵立像である。
地蔵尊は、蓮華座の上に立ち、右手に錫杖、左手に宝珠をもつ。舟形光背の向かって右側には
大きな梵字があり、その下に「右志趣者相当藤原□□□廻之忌辰也藤原 文和三年(1354)十月廿四日・・・・・・」
の銘があり紀年銘のある磨崖仏として県下最古のものである。この磨崖仏は俗に「いぼ神さん」「いぼ取り地蔵」
として古来信仰されており、対岸には拝殿がある。
 なお、この磨崖仏より上流へ約15メートルの岩壁にも4体の地蔵立像が彫られている。

 平成2年11月 兵庫県教育委員会



Prefectural Cultural Assets
The Stature of Buddha Engraved on the wall of Rock at Hashisaki


This statue, engraved on the rock wall at the foot of Mt. Thuruhashi situated on the east side of the Ibo River,
is a life-size statue of ‘jizo’ with a ship-shaped ‘kohai’ recess behind it.
It stands on pedestal engraved with lotus flowers and has a ‘shakujo’(a kind of Sceptre) in his right hand and
a jewelled ball in his left hand. On the left side of the ‘kohai’ there are a big Sanskurit character and some
inscriptions meaning it was built in 1354(the 3rd year of bunwa) This statue is the oldest of all the statues
with inscriptions engraved on of rock wall in Hyogo Prefecture.
The statue of Buddha is believed to take away our want, and on the other side of the banks there is a front
shrine.
In addition there are four other statues engraved on the rock walls near here.

1990 November
Hyogo Prefectural Board of Education
 

 東觜崎駅から鶴嘴山から東山公園に至るまでの要所全てに英語表記があれば外国人ハイカーにもお薦めしたいのだが。

 なるほど野歩記さんも指摘されている通り、教育委員会も觜崎の「觜」ではなく、「嘴」と表記している。そもそもこの表示が混乱の元になっているのではないだろうか。
このことに限らず教育委員会だからといって、やることなすことなにもかもが正しいわけではないのは、昨今のいじめ問題へのいい加減な対応を見ていても明らかだと思う。

 ひとしきり磨崖仏を見上げた後、工事車両の搬入路となっている砂利道を觜崎橋まで戻って、朝歩いてきた交差点から東觜崎駅までを逆向きに歩いていく。


 東觜崎駅北の踏切からは、觜崎の屏風岩の頭頂部がよく見える。

16:25 東觜崎駅到着

 駅では10人程度の人が列車の到着を待っていた。後で分かることだが、今日の姫新線は余部駅で発生した人身事故のせいで午後のダイヤが乱れていたのだ。
自分が龍野へ来た日にこのようなことが起こるとは、まさについてないとしかいいようがない。それにしても最近やたらと人身事故でダイヤが乱れるのが多い気がするのは気のせいだろうか。


16:33 東觜崎駅出発

 定刻よりも7分遅れで姫路行き2両編成列車がやってきた。車内は過半数が学生だ。殆どの席は埋まっていたが、幸いにも座ることが出来た。
途中駅でも乱れたダイヤのせいで多くの利用客が待っており、終いには新快速を上回るほどの超満員になってしまった。


17:04 姫路駅到着

 駅には列車を待っていた人で溢れていた。人々の間をすり抜けるようにしてホームへ降りる。
のどかな乗車時間を楽しみにしていたのだが、思わぬことに巻き込まれてしまった。次に行く時は人身事故が起こらないように願いたいものだ。



今日の行程の断面図です。



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